2011年11月24日木曜日

名言

世には多くの名言がある。大概は著名人が発言したものだ。

さて、本来言葉と人は別のはずだと思うのだが、例えば殺人犯が
「人の命は大切だ」
と言ったところで
「お前が言うな!」
と思う事が多いだろう。
尤も、殺人という罪を犯した、その後悔の念の重さは殺人を犯したわけでもない人にはわかるわけもなく、実はとても思い言葉かもしれない。だが、そこまで考えが及ぶ事もなく、「お前が言うな」になる。
何故その人がその言葉を発したのか?それを常に考えなきゃいかんな~と思いながらも、そこまで思慮が至らない事は案外多い。

で、本題。
本来「言葉」それ自体が持つ力や価値は発言者、発言媒体関係ないのが望ましいとは思うのだが、「言葉」が「人」とセットで「生きる」という事実は残念ながら存在している。そして過去の偉人が言った言葉というものには時代背景が大きく影響している場合もある。それ故に「コピー品」はいらないというのが僕の考え。
だからtwitterとかで機械(bot)がtweetしてる過去の偉人の名言をRTしてたりすると「なんだかな~」と思ってしまうのだ。
その言葉に自分が感銘を受けるのはいい。でもそれをそのまま他人に見せなくてもいいだろうと。だってその言葉は言葉に相応しい行為を為した「本人」が「言っている」から「感動できる」のだ。リレーのバトンのように渡されても感動しない。名言の押し売りに興味はない。

自分が好きな歌を誰かがカバーしたのを聴いて「この歌は好きだけどお前からは聴きたくない」みたいな感じかもしれない。
# 例えば僕は佐藤竹善が好きだが、彼のカバーした「初恋」は未だ受け入れられない。それほど三田寛子の「初恋」が好きなのだ

本質的な疑問は、言葉に感銘を受けたのであれば、何故その言葉を自分の中で咀嚼、消化し、自分の人生経験・考えを加味した自分の言葉にして発言しないのか?ということ。これが一番わからない。自分に考えが無いのか?
# 何かに対する批判が誰かの意見そのままってのを見ると「お前はいらんわ」って感じるのと同じ

世の中には素晴らしい言葉が沢山ある。それを伝えたいという気持ちもわかるのだが、他人の言葉ばかり借りているなら、そこには個性もなにもあったもんじゃないよなぁと。まぁそれがその人の個性だと言われればそうなのかもしれないが。

ま、こんなことを書いた僕でもそのまま、自分の考えを加味する余地もなく感動でき、伝えたいと思う言葉もある。
今年一番感銘を受けたのは、この本

に載ってたサイゼリヤの会長の母親の死に対する言葉。
要約すると、
「死があるから苦しみや悩みがある。1度死んだら2度と死ねない。そしてそれらから解き放たれる。だから死は最高。」
40過ぎて段々自分の死について考えるようになっているから、この言葉には本当に感銘を受けた。僕も歳をとればそれだけ死に対して前向きな考えを持てるのだろうか?
皮肉屋であれば
「だったら自殺すれば」
で終わるだろうが、今の僕はそんな返しを面白いとも思わないというかむしろ「クソつまらん」と思うし、その程度の返ししか出来ないような人とは極力距離を置きたくなっている。
# 最近特に自分の望む会話の出来ん人はいらんのよ。少なくとも友人としては

まぁ過去にこんな人
ちんぶろぐ: 三日死んだ男
にも会っているから、人間1度しか死なないってのは間違いかもしれんけど。

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