問題は、自分が知っている事は、自分が観ている番組は相手も観ている前提で喋る場合が多いってこと。そう、観てれば、同じ作品が好きなら盛り上がれる。話し上手になれる。だが、そうでない場合、相手が観ていない場合には会話が成立しない。まぁこれはオタク、アニメオタクに限らず自分の好きなものになるとそういう傾向がある人っていうのはいる。僕にもそういう傾向はあると思う。
さて、相手がそれを知らない時、次どうするか?時々、「知らない」をきっかけにその作品の素晴らしさを語られることがある。これは困る人もいるだろう。だって今の時代気になりゃ録画くらいしてる。要は観てないのは大概興味が無いのだ。そこに説明されてもどうしようもない。
でもこれってその人が悪いわけでもないし、今の世の中勘違いしても仕方ない。
例えば1000人に1人くらいしかそれが好きな人がいない趣味だと、昔は中々共通の趣味を持つ人と出会えないし集まれない。
休みの日なんかに同好の士の集まる会でもなければ、会話が出来る機会も無かった。そんな環境で生きてれば自分がマイノリティであることなんて嫌でも気付く。
インターネットのあることが当たり前な今、1000人に1人どころか1万人に1人が簡単に見つかる。例えばtwitterなんてやってたら、僕の場合は世の中プログラマだらけのように思える。しかも世のプログラマは皆ハイレベルに思える。
もし僕のフォロワーの職業比率が世の縮図であるなら石を投げればプログラマに当たるってレベル。それで僕のフォロワーが30人や40人ならまだわかるが、僕でも900人くらいいる。
下手すりゃ街頭インタビュー以上の母集団がいて、多分プログラマのフォロワーってその中の半分くらい?もしかしたらもっと?どう考えたって勘違いするでしょ。
# ただ性比率が明らかに男に偏っていることで、それが一般的な母集団たり得ないことには気付くべきだろう
で、オタク。同じようにネットで同じ趣味の人を検索すれば山ほど出てくる。だからtwitterでも同じようなものだろう。同じ時間に同じ番組を観ている人の呟きでタイムラインが埋められたら自分の中でその番組の視聴率は紅白より高い。だったら誰もが観てると思ったって仕方が無い。
1万人に1人でも日本国内だけで数えたって1万人くらいいるわけだ。その1万人の10人に1人でもネットでアクティブなら、その人たちがネットで集まりその中に自分がいれば、自分の世界の中では滅茶苦茶メジャーな事柄。錯覚して社会がそうだと思っても無理ない事。
つまり、どんな人にも合わす社交性が無くたって十分なコミュニケーションが取れる世の中になっている。
だから本人の中では、知ってて当然だと思うし、知らない人を見れば
「何で知らないの?」
となっても不思議じゃない。そして嗜好の合わない人同士だと、どうしたって会話が噛み合いにくくなる。
喋りやすい人、話して盛り上がれる人が十分いるのにわざわざ合わない人と喋ろうと思わないから、全然嗜好の違う人と会話するのに不得手な人は今後オタクに限らず増えていくんじゃないだろうか?
ただ、ネット批判してるわけでもなければオタク批判をするつもりも無いの。だって自分がもっと若い時に今みたいならそれも理想だもん。
リアルに会う学校や会社の人間に合わせて生きるも、その人たちと距離を置きネット上で、ないしはネットで知り合った人たちとオフラインで会う。どちらも選択できるわけだから。勿論両方こなすことも出来る。
結局「自分がどんな人間関係を築くか」の選択肢が増えただけだから。
僕は同じ嗜好の人と話すのも好きだが、飲み屋で偶然会った人と話すのも好き。そういう人はtwitterもやるけど飲みにも行けばいい。
単なるアニメオタクみたいなのじゃなく、ネット上でもっと独特な嗜好の人が集まってるようなところはきっと凄いんだろうなぁ…特に特殊性癖とか