2012年9月30日日曜日

あなただけかも

時々見かけるコピーである。
アホかと。

もし、本当にその人だけ(それは僕かもしれない)としよう。
その、たった一人の新規顧客の為に宣伝打って、元が取れる訳がない。

宣伝打つ以上、その費用以上の利益を見込む筈である。
誰がそんな陳腐なコピーで焦るだろうか?

と、そんなタイトルのメールを見て思った。

電気を点けて寝ると

昨晩、飲んで帰ったにしちゃ珍しく早く家に着いた。そして、そのまま寝てしまった。電気を点けたまま。

平日の睡眠時間が5時間弱程度と、非常によろしくない生活が続いているので、7〜8時間程度寝れると、それはそれで良いんだけど、こういうときは概ね電気を点けたまま寝てしまっている。
そうすると、どうにも熟睡できないようで(メラトニンの関係だろう)、せっかく十分な睡眠時間がとれても頭がすっきりしない。

で、どうなるか…
今日の場合、昼に睡魔に襲われ「ちょっと昼寝だ。それもちゃんと寝るぞ!」とカーテンを閉めきった部屋で電気を消して寝る。
すると、起きたら夜。

頭はすっきりしたけれど、おかげで、早寝早起きからズレてしまった。

世の中、うまくいかないもんだ。

しかし、これだけテクノロジーが発達したんだから、住人が寝たら勝手に電気を消してくれるシステムがあってもいいんじゃないか?
オウムよろしく、ヘッドギア付けておいて、脳波で睡眠を検知したら部屋の電気やらテレビやら消すとかね。
ああ、部屋の壁がサイコフレームだったら…

どうすれば50億手に入る?

こんなニュースがある。
香港の富豪「同性愛の娘と結婚すれば50億円」、申し込みが殺到
http://news.livedoor.com/article/detail/6996827/


どう攻めるのが正攻法か?
同性愛者が結婚する場合、ありがちなのが偽装。男性も女性も同性愛者。形式的に結婚。お互い理解し合えているから、しがらみも愛もない。問題ない。しかし、それじゃ、この親は納得しないだろう。それ以前に同性愛者じゃないとできないことだが…

では、次に考えること。相手の心理的障壁を下げる。相手がレズビアンなんだから、女装して接してみてはどうだろうか?男の見た目よりは抵抗が少なくなるだろう。だが、しかし、これも親が納得しないだろう。

実際問題、どんだけいい男が現れても同性愛が治るとは思えない。一時的に男を好きになったとしても、いつ女と浮気されるかわからない。僕なら、
「籍を僕と入れて、3人で住もう」
という提案をするが、これも親が納得しないだろうな。
この提案をした場合、うまく行くと、女性が二人共異性愛者もしくは両性愛者になる可能性がある。

ところで、娘の結婚に50億出すくらいだから、相当な資産家だろうし、恐らく娘も相当金を持っている。だから、僕の中で一番順当な提案、
「とりあえず籍を入れて、50億を半分ずつしない?」
は、相手の女性が受け入れてくれないだろうな。

でも、
「25億くらいじゃ嫌よ」
っていう金銭感覚の人と、一度くらいは会ってみたいものだ。
「3500円の安いカツカレーなんて、何が入ってるかわからないから食べられないわ」
とか言うんかなぁ

カラオケの点数

どうにも納得できない。

最近ちょくちょく一人カラオケに行くんだけど、機種によって採点結果が異なる。いや、メーカーによって異なるならまぁいいんだけど、同一メーカーの旧機種と新機種で異なるのだ。

その日の体調?確かにそれも影響するだろうが、しかし、それだけとは思えない。
随分昔のカラオケの点数機械って、大声で歌うと点数が高かったりして、実に曖昧だったんだけど、今時の機械は、音程やらリズムやらしゃくりやらビブラートやら、なんか色々なパラメータによって採点している(みたいだ)。
で、音程に関して言うと、僕の場合は、新しい機種のほうが点数が良くなる。では、新しい機種のほうが、総合点も高くなるのか?というとさにあらず。面白いことに、大体同じくらいの点数になるのだ。

では、音程に関する点数が上がったのに、どこが低く評価されたのか?それもイマイチわからないんだけど、どうも機種が新しくなるごとに増えるパラメータが影響しているんじゃないか?という疑惑がある。
「熱唱度」なんてパラメータが増えても、どうすればいいかわからないじゃないか…皆が、どの歌でも、「傷だらけのローラ」の西城秀樹みたいに歌えばいいのか?んなアホな(というか熱唱の基準がそれかどうかもわからんが)。

というわけで、非常に納得できないと思いつつも、採点結果を見て…というより、曲中の音の外れ具合を見ながら一生懸命歌うわけだ。
ストレス発散の一人カラオケで、音程合わせることに一生懸命になって、採点の内容を考えたりしてたら、余計にストレスたまりそうだが、意外とこれがストレス発散になる。ゲームの攻略法を考えているような感じかな。

1日1食 VS 小太り

タイトル通りです。
この2冊を読んだわけだが…


南雲先生の提唱する健康法に対して、高須先生が批判している。それも、名前こそ出してないけど、結構真っ向勝負。

まず、南雲先生の方は1日1食を基本とした健康法。他はゴボウ茶が体にいいとかそんな話。
そして、高須先生の方は、1日1食じゃダメって話。ちゃんと3食食べましょうと。
僕は、南雲先生の健康法の主たる効能は、長寿ではなく、アンチエイジングだと思っているのだが、高須先生は、ダイエットと捉えているようだ。この辺には違和感があった。確かにダイエットにもなるが、本のタイトルの通りアンチエイジングが主目的では?確かに、食べる量が減れば摂取カロリー量が減る。結果的にダイエットにもなるが。

まず、こういう本って、自説を説くために、極端な例を出したりするんだけど、どちらにもそういう話が出ている。
具体例を書くと、南雲先生の方は、人間の心臓の一生の鼓動回数には上限があるから、運動し過ぎたら長生きできないっていう話の中で、マラソントレーナーだったかな?の人が急死した話。高須先生の方は、極端な絶食で死んた人の話。
こういうのって
「そりゃ、中にはそういう人もいるだろうけど、全員もしくはそれが多数派なの?」
と思わざるを得ないような内容。だから、どちらの説も、全部を鵜呑みにはできない。
前者に関しては、その人が死んだ時点で、心臓の鼓動回数が上限に達したからか?なんてわからないだろうと。
後者に関してもそうで、そこまで絶食する人がどれだけいるんだと。極端に絶食する人は、もう精神的にやられているんじゃないかと。

あとは、「xxxな人が多い」とか「xxxという人が増えました」みたいな言い回しも要注意よね。確かにあなたの周りではそうかもしれない。だが、多い少ないや増加減少なんてのは、結構曖昧、個人の感覚にもよるので、全体的な統計での比率と比べて話をしないと信ぴょう性に乏しくなる。
例えば、感情的になった人から、
「あなたのこと、みんなそう言ってるわよ」
って言われて調べてみたら「みんな」は一人だったとかね…

他に、上述したことに近いけど、こういう本でありがちなのは、数字。「xxxであった人のうちoo割が△△だった」みたいな。xxxでない、それも含めた全体の統計を出さずに言われても、イマイチ信用できないし、xxxである人は、他に別要因の共通点があったりしないだろうか?とかね。



ただ、こういうことは、この両者に限った話ではなく、本を読んでいると結構あること。別視点からも見るようにしないと、ハマるなぁと。



で、どっちを信用するか?
今までも色々な健康法やらダイエット法が出てきた。古くは紅茶キノコとか(なんかゴボウ茶とダブるなぁ)。でも、ほとんどが一時的なブームで終わっているように感じる。
未だに一定数見る健康法、ダイエットって「ジョギング」かな。
南雲先生の方は絶好調で、これ以外にも何冊も本を出しているようだ。しかも最近は、ゴボウ茶の監修も行なっているみたい。時の人だなぁ〜。でも、こうなってくると、金儲けの臭いがしてきて、どうにも胡散臭くなってくる。
しかも、ゴボウ茶ってどっかの農家の人に教わったって書いてたような。だったら自分が監修するんじゃなくて、その人の監修のがいいような気もしなくもないけど、ネームバリューも大切だから、まぁいいだろう。
しかし、南雲先生の方法も「あるある大辞典」で取り上げられたら1週間で終わっていただろうに…あの番組が終わってしまったことが悔やまれる。

色々書いたけど、先日自分でゴボウ茶作ったばかりだし、それが無くなるまでの間は、僕は南雲派で。
しかし、高須先生の話も「ごもっとも」と思えるから、二人の間を取って1日2食にしよう。

しかし、「医者が書いた」「出版社が出している」「書店に並んでいる本」これだけで信用しちゃう(出版社や本はテレビ局や番組でもOK)、考えの浅さが一番の問題か。とはいえ、専門外のことなんて、結構そんなもんだと思うけど。

このエントリを書くために、南雲先生の本にもう一回目を通そうと思ったけど、見つけられなかった。まず、健康法よりも先に整理法の本を読むべきだな。僕は。

2012年9月29日土曜日

具のない茶碗蒸し

最近、たまに行く松戸の居酒屋にて。

その店、帰るときにサービスでお吸い物を出してくれる。それが美味い。
そこで、以前帰りしなに聞いてみた。
「あのお吸い物の出汁で、具のない茶碗蒸し作って、上にコノワタ乗せて出してほしい」
返答はOKだったので、今日作ってもらった。


三つ葉が入っちゃったけど(「三つ葉くらいは入れます?」と聞かれて「はい」と答えたので)、それ以外は具の入っていない茶碗蒸しにコノワタが乗っている。

このレシピ、僕が信頼する名古屋の料理人が何度か出してくれたことがあるので注文したんだけど、やはり美味い。まぁ、元が美味い店じゃなきゃダメなんだけどね。

僕の希望通りを目指すと、もう少し柔らかい方がいいんだけど、初めて作らせたものに、そこまで求めるのは酷だ。そもそも、固さの指定までしてなかったし。

美味しかったし、満足できたし、申し分ないけど、こんなシンプルだけど面倒くさい注文をしょっちゅうするのは、こっちにも罪悪感みたいなのがあって、恐らく二度と注文しないだろう。無論、お店の人が
「又あれ食べます?」
なんて聞いてくれたら、喜んで注文するけど。

2012年9月27日木曜日

ロボットレストラン

ニュースになった時、「行きたい!」と思ったが、きっかけがないと行けない。ちょっと忘れかけてたころに、お誘いの連絡。これは行くしかない。そう、ロボットレストランである。

まず、オープンまでにかかった費用100億円であるが、これは、何をどう遣ったのかわからない。セイントフォーのデビューにかかった費用40億よりもわからない。

「レストラン」という割には、食事はコレだけ。
 どう見てもちっちゃなコンビニ弁当。これにペットボトルのお茶の小さい方が付いている。因みにペットボトルのお茶はブランド物。伊藤園の「おーいお茶 緑茶」。
おかずの味が濃いので、ごはんが足りない。


店内はギミックが多い。立体駐車場よろしく回る床(この上でバイクやら戦車やらが方向転換する)や、メリーゴーラウンドの乗り物のようなもの。この写真のロボットは、後半女の子が上に乗って店内をぐるぐる回っていた。

「レストラン」とはいうものの、ようは見世物小屋。1時間のショーを見たら帰るシステム。最初に言われる、「女の子に手を触れないでください」という注意が、ストリップ小屋みたい。
ショーは何部かにわかれていて、間に休憩が入る。この休憩時間にトイレへ行ったり、ビールを買ったりできる。
最初のショーは女の子の太鼓演奏。BGMに合わせて沢山の女の子が太鼓を叩いたり、踊ったりする。そんな、幾つかのショーの一部に 、ロボットも出てくるわけだ。


これがロボットのショーに出てくる、自律走行型(?)美女ロボット。操縦者は二人。タンデム運転なのだが、シートは一つ。このロボット、案外凄くて、表情が結構変わるし、胸はピクピク動くしで中々見ていて楽しい。腕も動くが、こちらは動力があるわけでなく、後部座席の女の子の操縦するレバーの動作がダイレクトに伝わる。自動車のステアリングでいうと、重ステみたいなもの。




「 ロボットレストラン」と云う割には、ロボットのショーは相対的に大したこと無い。それ以外のショーも面白いからだ。これは、宙吊りの飛行機と自走式の戦車のショー。こっちの方が女の子のノリが良くて楽しかった。

食い物、ショボいです。飲み物は、弁当とセットで付いてくるペットボトルのお茶以外は缶ビールor缶チューハイ(氷結果汁だった)だけです。
ロボットの造り、店内の装飾(壁の液晶と照明は結構インパクトあった)、床板、女の子が叩く太鼓。どれを取っても、100億が理解できない。

し・か・し、これが1セット4000円。僕は高いと思わない。何度も行こうとは思わないけど、今日この1回で得た満足度は金額に見合ったものだった。

そうそう、美女ロボットだけど、店頭にお客さんの座れるものが2体置いてある。但し、走行は出来ない(動力が不要な腕と、アクチュエータで動かしている胸は動く)。

2012年9月26日水曜日

物忘れ

最近物忘れが激しい。

飲みに行く。次の日に思い出す。飲んだ酒とアバウトに覚えている支払額のバランスがおかしい。しかし、
「安すぎる」
なんて思う事は、ほぼ無いわけで、
「おかしい、勘定間違えとるんじゃ?いや、そんなわけがない」
しこたま悩む。
確かに、自分が飲んでる酒のきちんとした金額は知らない。だから、自分が適当に「これくらいだろう」と思っている金額が間違っている可能性も無くはない。が、それにしても腑に落ちない。

そして、2日くらいして、飲んだものを思い出したり、葉巻を吸っていた事を思い出したり。
いい加減、ちゃんとメモをとるとか、生活スタイルを変えないとヤバいんじゃないか?と思えてきたり。

実は、このblogに関しても、
「あ、これ書こう」
と昼に思って、夜帰ると、何か思いついたことは思い出せるのだが、それが何かまで思い出せない。そして書けなくなる。

幸い、今日は昼に書こうと思っていた事を3つ思い出したので、自分から自分にメールした。

  • 若者の日本酒離れ
  • 物忘れ

うん。これで3つ書けた。

タイトルだけ覚えておけば文章は何とかなるのに…
(今月はキレの悪い文章が多いと我ながら思っているが)

若者の日本酒離れ

先日、岐阜県の酒造が倒産したというニュースを見た。

その記事によれば、日本酒売り上げの低迷の原因に、「若者の日本酒離れ」ということが書かれていた。

確かに若者の飲酒率は低下しているように感じる。因みに男性は飲まなくなったが、女性が飲むようになったという話も聞く。ただし、それがどの程度の割合なのかはわからない。ともあれ、若者の中で、飲酒者の割合が減っているのは事実だろう。

だが、その影響はそれほど大きいのだろうか?
「若者」が何歳までを指すのかはわからないが、仮に30歳までとしよう。
元より、酒は20歳以上、未成年は飲酒者の数に影響を与えないはずである(現実はともかく)。とすれば、影響を与えるのは10歳の幅でしかない。全体の何%だというのだろう?そして少子高齢化で減っている若者。
若者の絶対数が減っているのだ。仮に同じ割合で飲酒者がいたとしても、どのみち若者の飲酒者の数は以前より減る。これを「離れ」などと云うのはどうなんだろうか?

いや、もし仮に「離れ」だとしよう。だとすれば、それに合った営業努力をすべきではなかろうか?飲酒は義務じゃない。

おそらく、企業はそんなことわかっているはず(だと思いたい)。「若者の日本酒離れ」という言葉は多分新聞記事で書き足された言葉だと思うが、こういう書き方は、ややもすると若者が嗜好品を嗜まなくなったことに責任があるように思われかねない。

「若者のxx離れ」という言葉を発する前に、それかとは別の選択肢を得られる社会になったのも又、その前の世代からの積み重ねであるという事も考慮すべきだと思えるのだが。

でもまぁ、一人の酒好きとして、常飲しなくていいから、酒を色々試してみるのもいいんじゃないかな?という気持ちも無くはない。
少なくとも、僕は酒を美味しいと思っているし、自分が美味しいと思うものを人にも試してもらいたいと思うから。
無論、それを強要するつもりも無いが。
(と言っておきながら、どぶろく勧められたら多分断る。人間誰でも苦手なものはあるものだ)

2012年9月25日火曜日

スケベ心でも無いのだが、最近特に自分で感じていることがある。

女性を見る時、胸に目がいってしまうのだ。
「男なんてそんなもんだよ」
いやいや、そういう話でも無く。揉みたいとか顔をうずめたいとかそういう欲望はない。
見るところも、谷間ではなく、両山の山腹から頂にかけて。

で、何故そんな風になったか考えてみたところ、二丁目に行ってるわけでもないのに、女装した男と遭遇する率が高いのが原因ではなかろうか?
どうも、本物の女なのか、女に見える男なのかを確認するために目が自然に胸に向かっているように思われる。

男の娘が一般化した(わけじゃないんだろうが)今、己が相手を正しく認識し、接するために、つい性別確認を行ってしまっているようだ。そして、これを無意識に行うようになってしまっている。無意識だから、既に性別を知っている人に対してまで、そういう目の動きをしてしまう。

というわけで、本人的には助兵衛な意識は無いのだが、それを自分で気付いた時、妙に気恥ずかしい。直そうと思っても、ほぼ無意識に行っているから難しい。
しかし、
「胸を見てしまいますが助兵衛な気持ちは無いです」
などと口に出して言えば、余計なトラブルを生むだけだ。
難しい。

※「男の娘=おとこのこ」要は女装した男

年内一杯

職場の契約更新の時期…というか9月一杯で現在の契約は終了なのに、一向に契約更新の話が来ない。
終わりならそれでしゃーない…こともなし。そもそもそんな終わり方は法的に向こうもマズいはず。
で、気になって聞いてみたら、単に忘れていただけだったらしい。ありがち。

ここで3ヶ月の更新をすると、11月で丸5年今の職場にいることになる。つまり、関東に来てから5年。
うぅん。その割には、未だ関東に疎いのもどうしたもんか。やはり、おっさんになると行動力が無くなっていかん。

ところで、最近法改正があって(もう改正されたのかな?まだかな?)、契約社員や派遣で5年間以上そこにいた人が、「正社員になりたい」と言ったら、断れないらしい。こんな法を作ったら長期契約しなくなるか、途中で無理やり未契約期間を作るだけだと思うんだが…
それはともかく、僕も11月以降に「正社員になりたい!」と言えば、先方は断れなくなるが、そのことも先方は知らなかったらしい。
とはいえ、先方も、ここで契約内容を変える訳にもいかないし、結局又10月から12月までの3ヶ月の更新となるわけだ。

で、契約更新に関係して、きちんと話をしなきゃフェアじゃないと思ったので、金曜日の職場の飲み会の帰りに
「今度の契約で最後にして、撤収します」
と言っておいた。
契約社員と言っても1年以上勤めていれば、2週間前に退職願を出すことで辞めれるらしいが、そういうのは公平な感じがしないので、契約更新時にきちんと言っておこうと。

これで、先方に自分の意志を報告したわけだから、ようやく、堂々と、この先のことを考えられるわけだ。

さて、どうしよう?

2012年9月21日金曜日

オジサマ専科

なんか、そんなののCMを見たんだけど、時代は変わったな〜と。

男向けの恋愛ゲームのテレビCMって、やってたことあるのかな?僕は見た記憶がないんだけど。
女向けの恋愛ゲームだったらCMをやってよくて、男向けだとやれないとかいう決まりもしくは暗黙のルールはあるんだろうか?
まぁ、男向けのも多分CMはやっていて、僕が見たこと無いだけだろう。

それはともかく、ゲーム内で、そのシーンがあるかどうかはわからないけど、CMの雰囲気から、肉体関係的なものがプンプンしている。
なんかなぁ…

しかしまぁ、裏を返せば、オジサンにも一定の需要があるから、そんなゲームが出来るわけで、ぼくも後10年くらいしたら、モテるようになるかもしれない。

ところで、僕が50になったら、僕が20歳の頃に「なんじゃこの娘」と思っていたような15歳くらいの子も45くらいになってるんだよな。時間は怖い。
「彼氏に神社で駅弁された」
と赤裸々に語っていた、あの中3女子は今頃何をしているのだろう。

ゴボウ茶

20代若返るために作ってみた。

ゴボウを買ってきて、ピーラーでささがきに。
干物を作るかごがあるので、それに入れて干したんだけど、雨の日だったので、部屋の窓際に一日放置。
レシピを見ると、天日干しとなっていたけど、お天道様が出ていなかったから、天日干しにはならなかった。これが悪影響を与えていなければいいけど。
で、その干したゴボウを今度は乾煎りして茶葉(?)の出来上がり。

とりあえず、100円ショップで買ったティーパック袋に適量を入れて、沸かしたお湯に投入。

出来上がったゴボウ茶を飲んでみると、普通に飲める味。ただ、飲もうとコップに顔を近付けたときは結構ゴボウの香り。飲めば気にならないけど。

味どうこうより、ゴボウのささがきを作るのが手間で、続けられる自信がない…

大人の双子

先日電車に乗っていたら、双子(だと思う、としか思えない)二人が乗ってきた。
一人の男が乗ってきた後に乗ってきた男が、同じ体型同じ顔。同じ髪型。シャツが白黒違うだけ。

脳の中で違和感が生まれる。
「あれ?あれ?」
状況を処理するのに時間がかかった。
何のことはない、ただ双子が乗ってきただけなのに。

子供の双子を街で見ても、「あ、双子だ」って感じだけど、大人の双子だと何故脳が止まるのか?
大人の双子って、多分見ることが少ないからだろうな。それに、大人になると、それぞれ髪型を変えたりしているんだろう。

ザ・たっちみたいな芸能人だと、テレビで見るだけだし、「そういうもんだ」と思えるんだろうけど、突発的に大人の双子を見ると思考が停止するということがわかった。

2012年9月18日火曜日

歌詞の覚え方


そして、もういっちょ。

最近歌詞が覚えられない。そもそも歌詞って、前後きちっと文脈的に繋がってるものばかりじゃない。
例えばモーニング娘。のLOVEマシーンのサビ(例えが古いなぁ…)
「日本の未来はWowow Wowow 世界が羨む Yeah Yeah Yeah Yeah 恋をしようじゃないか」
歌詞だからいいんだけど、これ、日本語として繋がってない。別にこの歌に限らず(たまたま今LOVEマシーンが思い浮かんだだけ)、歌詞ってのは、作文じゃないから、前後でいきなり話が飛ぶことなんてしょっちゅう。

これを書かれた紙を見て、歌詞を暗記するのは困難だ。ランダムに書かれた単語の並びを覚えていく(というとオーバーだが)ような労力がいる。ノリで言えば円周率覚えるようなものか。

というわけで、本当に最近歌詞が覚えられない。しかし、昔覚えた歌の歌詞は覚えている。それらも勿論、日本語として前後文脈がキッチリ繋がったものばかりではない(そういう歌詞はむしろつまらん歌に多い)のに。

今、必死になって90年代頃まで、どうやって歌詞を覚えていたのか、思い出そうとしている。
面白いことに、その頃覚えた歌は口ずさめるのに、その頃どうやって覚えたのかは全く思い出せない。
人の記憶とはかくもいい加減なものか。

曲名の覚え方

最近、結構困っていることが、曲名を覚えられないということである。

歌詞のある歌だと、曲名が歌詞に入っていることも結構あるから、関連付けて覚えられることもあると思うが、問題はインストだ。

まーーーーーーーーーったく、覚わらん。

なんせ、何度も聴いている上原ひろみですら、曲を聴いて曲名が言えるのは10曲あるかないか。いや、VOICEなんて何度も聴いてるし、Haze以外の曲だってカッコイイと思うし、だけど、曲名が思い出せない。
いや、VOICEに関しては「リンクしない」が正しいかも。このアルバムに入ってる曲の曲名は幾つも覚えている。しかし、実際に曲を聴いた時に、どれだかがわからないのだ。

「曲名わからなくても音楽は楽しめるし、いいかー」

と気楽に考えちゃいるが、ライヴで、やった曲の名前を思い出せないのはモヤモヤするし、精神的によくない。
なんか、いい覚え方はないものか?

2012年9月17日月曜日

三点倒立

とあるblogに書いてあったのでやってみた。

ちゃんとした三点倒立だと、壁を使わないんだろうけど、逆立ちが目的なので、壁の所でやっている。


肩こりに効くのを期待したのだが、そっちはまだ効果を感じない。というか僕の場合首が酷いので、頭から首に負担がかかってしまい、それどころじゃないって感じ。

だがしかし、腰は違う。逆立ちすると、腰に溜まっていた血がサーッと流れだすような感じ。かなり気持ちいい。

しかし、逆立ちしてる間暇だ。逆立ち目標3分。逆立ちならではの3分の使い方は無いものだろうか。

クジ運

気にすればそうだし、気にしなければそうでもないものの一つが「運」である。
こんなのは幸不幸とおなじで、気の持ちようによってどうとでも取れる。故に運がいいとか悪いとかいう議論は実に不毛である。
と思っちゃいるが…


僕は、食事&酒に関しては運がいい。これは、間違いがないだろう。たまたまそこに居たってだけで高級肉にありついたり、未だ忘れられないトマトの握りにありついたり。酒に関しては、なんせ、初対面の人に珍しい酒貰ったこともあるし、何回も、1本で万オーバー、それどころか10万オーバークラスの酒をタダで飲んだこともある。金額以外にも「こんなの他で飲めるかい」ってのを飲ませてもらったりね。
これで、運が悪いとか言ってたらバチが当たるレベル。


しかし、やはりクジ運に関しては悪いんじゃないか?と思わざるを得ないことがある。
因みに、ジャンボ宝くじで5万円を当てたことがある(但し、その時にはジャンボ宝くじを100枚買っている)から、それを考えると、そんなにクジ運悪くないように思えるが、福引で何も取れないとか、福袋で「これは…」と思うようなものしか入ってないとかいったことが、ここ1週間の間に何回も起きている。

単にそういうタイミングだと思えばそれまでだが、後厄、そんなものが気にならなくもない日本人なわけである。
しかし、本厄より後厄で運の悪さを感じるのは何故なんだろう?そういうのも人によるのか?
もしかしたら…僕は家庭の事情か何かで、一歳上の学年に行かされていたのか?実は今年が本厄なのか?そんな人生のドラマを期待してしまうおっさんもどうかと思うが…

2012年9月16日日曜日

名前のない生活

先日ふと疑問に思ったこと。

世界には、文化、社会構造、言語の違う国や地域が沢山ある。しかし、どんな地域でも、先進国でも、未開発な地域でも、人は名前を持っている。テレビで見る程度の知識だが、どこに行っても、名前で紹介されている。そして、大概、姓(ファミリーネーム)と名(ファーストネーム)がある。地域によってはそれにミドルネームが付くか。
SF作品とかで、別の星から来た人が出てくるものでも、名前がある。こっちは地球より高度な文明を持っている場合が殆どなのに、名前が単調だったりファミリーネームがなかったり、不思議に思うこともあるけど、とりあえず名前はある。

しかし、世界は広いんだし、名前のない集落とかあっても不思議じゃないような気がする。
名前のない社会では、人をどのように識別するのだろう?
「右のやつ」
みたいに呼ぶのか?なんか面倒そうだ。

結局、言葉ができ、言葉でコミュニケーションを取るようになった時、そして、2人を超える複数の、多数の集団で社会を構成するようになると、自然に名前が必要になるのか?そして、社会の中での最小構成単位でファミリーネームが出来るのか?

そうだとするなら、異なる発展を遂げたどの地域にも名前というものがあるのは納得できるような気がする。

しかし、名前もなく、個人を識別する方法を採っている地域が一箇所くらいはありそうな気もする…というか、あって欲しい。名前という概念を無しに、個々の人を識別する方法。興味がある。

2012年9月15日土曜日

新宿東口ビックカメラ、又の名をビックロの酒屋が侮れない

ビックカメラは元々酒を扱っているし、以前は山崎や白州のオーナーズカスクを幾つも出していたから、気合の入れ方もなかなかのものである。
# 実は未だこのオーナーズカスクを一本も買っていないことを悔やんでいる

そんなビックカメラの新店舗が新宿東口店だ。ユニクロとの融合店で、ビックロという名前らしい。
この店にも酒コーナーはある。そして、この店の酒コーナーが唯一持つ特徴、それが試飲コーナーである。「無料試飲」を謳っているので、無料で試飲できる酒もあるのだろうが、ここでの注目は、むしろ有料試飲。酒屋の有料試飲だから、飲み屋と比べたら比較にならないほど安い。

例えば山崎の18年が1ショット1180円(だったと思う)。並行物を比べたら、そうでも無い金額だが、国内流通物だったら約2万の酒が、1ショット30ccでこの値段。
他の酒もこれに類する価格付け。しかも、それがウィスキーに留まらない。というより、ここのメインは、ワインであろう。窒素充填のワインセラーで、メニューリストには、オーパスワンやシャトー・ラトゥールといった酒も並んでいる。ワインは60ccで、ボトルの約10分の1の価格。

というわけで、オーパスワンの2008飲んできた。

因みに、このビックカメラの向かいには伊勢丹がある。伊勢丹の酒コーナーも似たような価格設定で酒を出しているので、ここと伊勢丹があれば、十分酒が飲める。しかも、原価バー並の価格で。

そうしょっちゅう飲みに行くのもアレだが、利用価値は高いと思う。

2012年9月14日金曜日

自分の言葉とネットスラング

ネットで流行り言葉を作る人は凄い。浸透力というか感染力というか、アッという間に伝搬する。尤も、元々ネットで誰かが言ったことなのか、テレビで誰かが言っていたことなのかはわからないが。そして、廃れるのも早い。一発屋の芸人みたいだ。

今時使っている人は殆どいないと思うが、
「☓☓ですね、わかります。」
ってなフレーズが一時期良く見受けられた。

大量に使われていたから、ネットをよく見ている人、特にtwitterなんかをやっている人には馴染みのあるフレーズだろう。

こういう、使いでがあり、多くの人に使われるフレーズを考える人は凄い。見てみれば単純な言葉だが、要は使われるかどうか、親しまれるかどうかが重要なわけで、多く使われる言葉のテンプレートを考える人は凄いな〜と。
もし、それで著作権が主張できて、使用料取れたら億万長者じゃない?と思わなくもない。

ただ、僕に関しては「☓☓ですね、わかります。」は使わなかった。他人の作ったフレーズ使ってる時点で、自分が頭使ってる気になれなかったのと、短時間に余りにも多く使われすぎた。手垢が付き過ぎてて、それを使う行為自体に寒さを感じたから。
しかし、もっと古いフレーズだと平気で使えるから不思議。もっと手垢ついてるのにね。

そんな、ネットでよく使われるフレーズの一つに、末尾に「キリッ」ってつけるのがある。要は、カッコつけて言ってるような意味だろう。
で、文字のみのコミュニケーションで、こういうのを付けるのはわかるんだけど(僕は使わないけど)、これをリアルの会話で使われるとね。
面と向かって話してるんだから、お前の顔で表せよと。

ネットで流行る言葉は、文字のコミュニケーションに幅を持たせるためだと思うのだが、それがリアル会話にまで浸透してきている。
場に応じて、使う言葉、表現手法を変えるのは当たり前のように思えるのだが。それができないのは、思考停止に近い。
折角リアルで会って、ネットでは表現の難しい抑揚を付けた口調や、「間を取る」という行為が出来るのに、文字のコミュニケーションを流用せねばならないのは表現力欠如と思ってしまう。

ただし、リアルな会話ならではの表現力を楽しむことが出来た上で、更に幅を持たせる意味で使っているなら構わない。というより、それこそ、ネットが可能性を広げることの一端だろう。無機質が有機質な物に融合されるような、打ち込みと生演奏が組み合わせられるような。

こういう、ネットスラングに関する、オンラインとオフラインとの境界を超えたところでの存在の違和感。これを感じるのは、物心ついた後に、オフラインが当たり前の生活をしていた僕らのような世代と、ネットがあるのは当たり前っていう生活を送ってきた世代とのジェネレーションギャップなのかもしれない。

しかし、こういう部分の感性を現代にアジャストできないと、後数十年生きるのは辛いような気がする。

若返るためにゴボウ茶を買おうとしたら、マツキヨには売っていなかった。

アニメと性癖

ネットで話題になることの一つに、児童性犯罪の犯人が、幼児向けアニメ、ないしは子供が出てくるアニメを好んでいたというニュースに関することがある。

僕はその事実があったとしても、「そういうこともあるだろうね」と思うわけだが、問題は、そういったアニメが、児童に対しての性犯罪を助長しているかのように思わせるニュースでの論調である。

何故逆からの視点が無いのか?要するに、元々幼児性癖のある人だったから、そのようなコンテンツを好んでいたという見方も出来るのではなかろうか?
例えばそれが児童向けでなければ、大人同士で合法的な性癖、SMだったとしよう。SM好きな奴はSMの映像を見て好きになるのか?そういう人もいるだろうけど、どちらかといえば、その性癖があるから、そのようなコンテンツを好むようになるのでは?
その人の嗜好とコンテンツの内容が合っていただけなら、それは自然なことであり、そこから犯罪へ発展するかどうかは、その人自身の元々の質の問題であるように思える。

もし、コンテンツの内容が犯罪を助長するなら、例えば家庭内暴力や、痴情のもつれから人を殺すという事件なんてのは、児童に対する犯罪より多く報道されているのに、昼ドラや、サスペンスを叩かないのは何故だろう?そもそも、犯罪を取り上げる内容のドラマなんて、刑事もの含めて軒並み止めるべきでは?

コンテンツが性癖を変えたり、覚醒させることがどれだけあるかは知らない。
だが、叩きやすいモノ、生理的に受け付けないモノを叩いているように見えてしまう報道は、問題があるような気がしなくもない。
せめて一人くらい、幼児に対して性犯罪を行った犯人で、アニメに影響を受けたって答えた人が過去にいたのなら、まぁ、わからなくもないんだけど。


ところで、児童買春で捕まった人がいたとして、その人の家から「千と千尋の神隠し」が出てきたら、ちゃんとそれも叩くのかな?カオナシが金で千尋を買おうとしてたもんね。でも、多分それは無いだろう。

話は変わるけど、上述のような報道姿勢を鑑みた上で、こんなことを考えた。
芸能人のスキャンダルがあると、そのことと関係のない(例えば何らかのCMに起用されたとかの)イベントで、報道陣が集まって、そのイベントと関係のない質問を浴びせるということがある…というかそういうの多い。
以前の僕はあれを、「本当に芸能リポーターは品がないな」と思っていた。
でも、実はスキャンダルがわざとだったなら、本人は話題になるし、話題の人を使ってイベントは注目されるし、報道陣は報道することが出来るしで、素晴らしいWin-Winになる。

最近、報道に関して懐疑的になってしまっている僕から見ると、なんとなくだけど、上述の話と同じで、異常性犯罪=アニメの悪影響とすることで、そこで槍玉に上がったアニメが話題になり、過去の作品が再び注目されてオイシイなんてことが計算に入っているんじゃないか?と思ったり思わなかったり。

2012年9月11日火曜日

カードの不正利用

ついに、その被害に遭ってしまった(遭ってないけど)。

朝、届いたメールを見ると、カードの利用通知。朝五時。
夢遊病で使うわけもなく、ちょっと「?」と思ったけれど、引き落としのタイミングがズレることはあるから、職場に着いたら忘れていた。

そして夕方。知らない番号からの電話。
電話の相手はスルガ銀行。
どうもカードの不正利用があったらしい。

で、カード情報の流出元もわかっているみたいで、僕と同じように被害にあった人がいたから、今回僕のカードが不正利用されたことも分かったのだとか。


そのカードは、スルガ銀行のVISAデビット。要は口座から直接引き落とされるタイプのクレジットカードで、限度額=預金額。幸い(?)なことに、不正利用金額が、預金額を上回っていたから、落ちなかったみたい。
元々、このカードは主に、ネットの海外支払いで使ったりしている。僕の場合、その手の支払いでは大した金額になることはないから、預金額は少額でいい。そして、万が一何かがあっても、預金額を少なくしておけば、被害額を抑えられる。
その予防策のおかげで、今回は金銭的な被害に遭わずに済んだんだが、カードの方は利用停止となってしまった。
もっとも、スルガ銀行が、新しいカードを送ってくれるので、それが届けば今まで通り使える。その期間は1週間程度だとか。

流出した情報はカードの名義とカード番号とセキュリティコードと有効期限。パスワードは流出していない。

しかし、海外のサイトで迂闊にカード使ったらいかんねぇ…

2012年9月10日月曜日

blog名変更

最近チト悩んでいることの一つ。
このblog、
ちんぶろぐ
という名前で、もう何年か書いているんだが、この名前、変えたほうがいいかも。

1つは、一番安易な逃げ、五七調に通ずる、5音であること。
もうひとつは、類似名があること。

もっとも、良い名前も思い浮かばないので、このままでいくと思うが。

2012年9月7日金曜日

18きっぷ、残1

お盆で消化する予定だった青春18きっぷが1回分余っている。

当初の予定通りであれば、1回程度余っても、「十分元取ったよね~」になるはずだったのだが…
天候に恵まれず、相次ぐ特急乗車で、なんのための18きっぷだったかよくわからん状態だったので、リベンジせねば…

しかし日帰りでどこ行く?
湯河原か伊東温泉あたりが妥当か?
いや、待て、サザン世代なのに(といって聴くわけでもないが)、関東へ引っ越してから未だ湘南も鎌倉も行っていないぞ。

色々考えているが、18きっぷは10日まで。10日は平日、9日は予定が入っている。8日しか使えるチャンスがないぞ。

ここは元を取るというだけのために、
1日中山手線の各駅乗降回数をnとしたとき
130円×n=合計金額
のnの回数を増やすか?

2012年9月5日水曜日

MOVE

1つ前のエントリで、Amazonへの文句書いといて、アフィリエイトリンク貼るなんてどういうつもりだ!って感じだが

フライングゲットしたので、1回だけ通して聴いた。
VOICEよりも激しくなっている感じ。ただ、バンドとしての一体感みたいなのは前回よりあると思う。なにより、ドラムもベースも前回よりももっと主張してるんじゃないかと。因みに今回ソロ曲はなし。

なお、付録のDVDに収録されているHazeは去年の東京国際フォーラムでのもの。僕、これを生で聴いたんだよなー。
+600円でこのDVDが付くなら、初回限定版買ったほうがいいと思う。


SHM-SACD版は未だ届いていないが、このCD版でも、十分音が良い。これがSACDだったらどれくらい良いのか、今から楽しみだ。

Amazonと配送会社

先月、上原ひろみのCDとSACD合わせて5枚、すべて9月5日発売のものをAmazonで注文しておいた。

で、僕のなかでは4日に届く予定だったのだが、4日の朝から「配送準備中」で、その先に行かない。
仕事帰りまでその状態。こうなったらCDだけでも買おうと、仕方なくアキヨドを目指す。
しかし、秋葉原のあたりでメールを確認したら「ご注文の発送」メールが来ていた。これは腹が立つ。

Amazonでは600円ほど安くなっていたし、聴けるのが1日遅くなった所でそう変わらないか…と思ったけど、念の為に配送会社を見たら、ヤマトじゃない。日本郵政でもない。

この場合、僕の手元に届くのは、早くて今週土曜日になる。
ヤマトなら、不在でメールが来る。その時点でコンビニ配達依頼をすれば、仕事帰りにコンビニで受け取りができる。
日本郵政や(Amazonでは使っていないと思うが)佐川であれば、配送所が24時間営業で、不在通知を持っていけば荷物を受け取れる。コンビニ受け取りに比べたら不便だが、再配達オンリーよりはまだマシ。
で、今回の上原ひろみの配送。そのどちらでもない。つまり、指定時間配送をお願いするのが精一杯だ。
時間指定だと、午前中か、数時間区切りで20時まで。それでは、平日に受け取ることは出来ない。

Amazonの配送すべてをヤマトが受け持てるほどキャパがないのだろう。仕方ない。そう、仕方ない。
「なんでヤマトじゃないんだよ!」
ではなく、ヤマトだった時に
「ヤマトだ、ラッキー!」
と思うべきなんだろうな。
でも、そう思えずに、ずっとイライラしていた。

だが、このイライラには別の原因もある。実は先日Amazonで注文した別のCDが、ようやく9月3日に発送されたとの通知が来たのに、未だ大阪にあるのだ。
普段だと、下手すりゃ注文したその日に送ってくる会社が、2日連続でレスポンスが悪いと、そりゃ、「何やってんだよ!」となる。人間、便利に対する慣れは恐ろしい。
これにしたって、当日届く方がラッキーって思えば全然印象違うのに。

Amazonの対応にしろ、配送会社の選択にしろ、なまじっか便利な方を知ってしまうと、不便な方を使われると怒ってしまう。
ちょうど、東海道新幹線でN700以外の車両に乗った時に似ている。N700はコンセントと無線LANのサービスがある。僕のように新幹線でPCを使いたい人には、N700以外ありえないし、それ以外の車両でも同じ金額というのが納得できないのだ。
Amazonでも、同じ金額で、便利な配送会社と、そうでない配送会社があることを知ってしまったから、イライラしちゃうんだろうな。

例えば新幹線なら、中でPCも、その他コンセントや無線LANを使用したいと思わなければ、別にN700じゃなくたって構わない(乗り心地や車両の新しさも違うが)。Amazonの配送も、家に荷物を受け取ってくれる人がいるとか、宅配ボックスがあれば気にならない。

便利になり生活が豊かになったのに、心が貧しくなっているのかもしれない。

余談だが、Amazonが長時間「配送準備中」だったのは、店舗購入によるキャンセルを防ぐためなんじゃないか?という疑惑を持ってしまった。
Amazonの場合、配送準備中のキャンセルは受け付けられないことがある。とすれば、リアル店舗で購入できる時間になる前に配送準備中にしておけば、店舗で購入されてキャンセルされるのを防ぐ効果があるんじゃないか?

こんな勘ぐりをしてしまうのも、心が貧しくなっているからかもしれない。

2012年9月4日火曜日

BBQ@若洲海浜公園

暦の上では既に二日前。日曜日にゲートブリッジの近くでバーベキューしてきた。

最初は生憎の雨だったが最終的に晴れて、良かったのか悪かったのか…否、晴れたのはいいんだけど、子供の相手がね。肩車して走りまわってると、簡単に体力無くなるわ。

しかし、冷静に考えてみれば、その子供たちの親の年齢は殆ど僕と変わらないのよね。なーんで父親は全然肩車せんのに、僕はその子供を肩車して走りまわっていたんだろう?子供からしたら、家で会える父親より、たまにみる知らんおっさんの方が面白いんだろうけど。

で、若洲海浜公園のバーベキュー場(というかキャンプ場なのかな?)、非常に使いでがあると思えた。近くに海があるから、釣りも出来る。
僕は釣り道具を出すにーちゃんたちを見て、その竿とリールからブラックバスと勘違いしていたんだけど、よくよく考えたらすぐ近くに海があるんだから、シーバスかハゼだろう。ちゃんと見たわけじゃないけど、道具からすると、多分シーバスかな?
# 最初は公園の中に池でもあってバスが釣れると思っていた。

しかし、真昼間っから肉焼いて酒飲んでるのもいいね。季節の変わり目毎くらいにやると丁度いいような気がする。
車出す人や調理する人は大変だったと思うけど。

余談だが、パーティーにおけるリッツよろしく、何故か僕の中ではバーベキューやキャンプだと、必ずギター持ってきて弾き語りする奴がいるという印象がある(いなかったし、今までも見たことは数回しかないけど)。しかもベルボトムだ。
こういう勝手に「こういう場面にはこれがあるべし」という思い込みは実に不思議だ。何回現実を見ても、補正されることがない。
そう、「バーベキュー=鉄の串に刺して焼く」という思い込みが未だぬけない様に。

覗きの心理

先日、日本IBMの元社長がスカートの中を盗撮して捕まったらしい。
随分前だが、どっかの大学教授も鏡で覗いて捕まっていたような。

この覗きの心理が気になる。

まず一つ、覗きはあくまでも見るだけである。触ることもなければ、それ以上のこともない。相手に気付かれたらアウトだから、興奮するのは自分だけ。つまりインタラクティブ性もない。
このこと自体は、人それぞれで、「バレない興奮」もあると思うからいいけど、肉体的な快楽の絶頂を求める、僕のようなタイプは覗きでは満足できないだろう。

で、この覗きであるが、特にスカートの中を覗くという行為に悦びを感じるタイプの人は、どこでテンションが上がるのだろう?そりゃ人それぞれだとは思うけど、恐らくは、顔と服装を見て、勝手にパンティーを想像して、その通りなら「してやったり」と思い、興奮したりするんだろう。
では、その想像と違っていたら?
例えば、おっさんが覗きでターゲットが女子高生だとする。

  • ベージュのパンティだったら
    「オバハンじゃねーんだよ!」
    と怒るのか?
  • 黒のパンティだったら
    「この遊んでる女がー!」
    と怒るのか?
  • 履いていなかったら、
    「わかってんのかコラー!」
    と怒るのか?
僕の今の疑問は、この、もし履いていなかったら?なのだ。
僕は、スカート女子がパンティーを履いていない確率を知らないが、恐らくはレアケースだろう。普通に考えたら「当たり」を引いたと思えるような気もするが、パンティーを見たいおっさんからすれば、それは「外れ」かもしれない。
なんせ、スカートの中を覗く行為と言えば大概エスカレーターなど。移動があり、広範囲に見渡すのが困難な状況である。ましてスカートの中の秘境。灯り無き谷である。じっくり見えるとも思えない。
ともすれば、覗きオヤジからすれば、単なる痴女と遭遇しただけとなってしまう。可憐で清楚な女子高生の破廉恥な裏の顔を垣間見た時、おっさんの道徳心は、女子高生に対する怒りとなるのだろうか?

こんなことを二日ほど考えていて、自分が本当にバカに思えてきた。

2012年9月1日土曜日

Kick the bucket

日本語にも、恐らく外国人が見て分からない熟語はあると思う。
当然英語にもある。タイトルの
Kick the bucket
これの意味はわかるだろうか?

数週間前の僕なら、間違いなく分からなかった。いや、バケツを蹴るって訳すだろう。それも間違っちゃいないけど。
で、これの意味は
「死ぬ」である。それも「くたばる」
的な意味で。
どうも、自殺でバケツに乗って首を吊るとき、最後に自分でバケツを蹴るのが語源らしい。

で、これはたまたま先日読んだこの本
 
に載っていたんだけど、これが、今Kindleで読んでいる「ペリーヌ物語」の原作「Nobody's Girl」にも出ていたんだな。
※もっとも、原作はフランス人、エクトル・マロの「En famille」だから、英語は翻訳版

こういう、たまたま得た知識を偶然にもその後すぐに使えると、しっかり記憶に残る。苫米地センセあたりなら、「そういうものですよ」と納得してくれるだろう。

で、改めてペリーヌ物語を、バンダイチャンネルの1000円見放題で見てるんだけど、やっぱり世界名作劇場の中でも屈指の名作だわ。
派手な浮き沈みは無い(いや、経済的にはあるけど)が、中だるみのないストーリー。幸せになった後の話もあり、そこにこそ視聴者に「幸せとは?」を考えさせてくれる内容がある。
内容は半分も分からないけど、アニメ版がとても優しい話になっているのもわかって、原作と読み比べるのも面白い。
Kindle版は挿絵が無くて読むの辛いけど。