2013年11月30日土曜日

11ヶ月前

昨晩、去年の大晦日から今年の元旦にかけて何をしていたか?という話題になった。

覚えてない…

話していた相手は地元の友人と飲んでいたらしい。
その場でどうしても思い出せなかったので、家に帰ってからblogを見てみた。
飲んでからヒトカラして吉牛行って帰ったらしい。「一年の計は元旦にあり」は間違ってないような気がする。
その時と今との一番の違いは仕事の有無か。

誤注文

仕事帰り。いつもよりやや早いのでファミレスに寄れる。で、ジョナサン。
牡蠣グラタン付のハンバーグとパスタを注文。

店内は混んでおり、注文の品が出てくるまでに時間がかかる。
暫くして注文を受けた店員さんと別の店員さんが牡蠣グラタンだけを持ってきた。あれ?あれ?
「すいません」
という僕の声は届かず、その店員さんはレジ打ちを始める。仕方ないので注文した品の写真を再度見直す。グラタンはハンバーグの鉄板の端に配置されるはずだ。おかしい。
手を付けるのも憚られるので、そのままにしていると、僕の注文を聞いた店員さんがパスタを持ってきて
「ご注文の品は全てお揃いですか?」
と、マニュアル通りの質問をする。
「ハンバーグと牡蠣グラタンを注文しましたよね?」
と返答すると
「申し訳ありませんでした。すぐ取り替えます」
との答え。なんせ時間がかかる。造り直されると終電に間に合わない可能性がある。
「これでいいです」
と言って、料理に手をつけ始めた。
因みに、体力もあり時間もあるときなら怒った可能性もあるが、なんせ睡眠不足&終電前。精神的に全てを丸く収める方向が望ましい時。

暫くすると、その店員さんが
「こちらの方のお代は結構です」
と、牡蠣グラタンの分の注文を取り消したレシートを持ってきた。
結局得をしたことになるのか?

帰り際、お会計で、レジに入った店員さんが注文を聞きに来た彼だったので聞いてみた
「あれは聞き間違い?それとも打ち間違い?」
すると、彼曰く
「間違えて入力してしまいました。」
怒りの無い僕は冷静に考えた。
聞き間違いもある。そちらは人間の中で完結するから、改善はきちんと確認を取るといったことしか出来ない。
だが、機械はまだユーザインタフェースを改善できる可能性がある。だから、あのファミレスなどで注文を入力する機械も、誤注文を更に減らすための何らかの方法を取る余地(ビジネスチャンス)がある。

実はこの問題のベストソリューションは280円居酒屋の端末による注文。「お客さんが、自分の注文したい品を手元の端末で入力する」という方法なんじゃないか?と思っている。
あれは恐らく注文を取る店員を無くして人件費を減らし、且つお客さんに注文を待たせない、且つ誤注文を無くすといった理由で採用されているのだろう。

注文をお客さん自ら機械で入力する。この方法は合理的だと思う反面、人間味が無くなるなぁ〜という個人的な感情もあり、採用されて欲しいような欲しくないような複雑なものでもある。

2013年11月29日金曜日

無欲

今の職場では2つの仕事をやっている。そのうち、片方の仕事のリーダーに会った時

「金額半分でいいんで、仕事をこっちだけにしてください」

と半ば冗談で言ってみた。本当にそうなることは無いと思っていたし、もしそうなったら、空いた半分は別のことに使うつもりで。
当然却下される。想定内。

その話をした時、以前同じプロジェクトをしていて、今は離れている人もいた。改めて戻ってくるそうだ。
その人にリーダーが

「沢山働いてくれるなら以前の1.5倍請求してもいいよ」

と言うと、その人は

「半分でいいです」

との返答。当然の如く、

「お前らな~」

となる。

実に無欲な人の集まったプロジェクトチームだ。

防水携帯

余計な機能が付いていると叩かれがちな国内産の携帯電話(スマホ)。僕も、要らない機能に辟易している部分もあるんだけど、時々とても重宝する機能もある。

その一つが防水。
「釣りに行くし、急な雨とか、何かあった時のために役に立つから必要だよな。」
と思っていても、実際に役に立つことなんて殆ど無い。前に使っていたスマホは実際に釣りに行った時に川の中に落として、1度だけ防水機能がとても重宝した。だが、役に立ったのは後にも先にもその1回だけだった。
だからなのか、その次にスマホを買うときには防水機能に拘らなかった。そもそも釣り場に持って行くのを止めるというベストソリューションに気付いたからだ。

さて、そんな防水機能。川に落としてもへーちゃらなくらいの防水能力がある。恐らく水道水で水洗いしてもへーちゃらだろう。
そこで、ふと思ったことがある。
「用便後の便所に落としても洗って使えるな。」
どれだけ綺麗に洗ったって、例えアルコール消毒をしたって、凄く、物凄く使いたくないけど…

好景気

先週末、名古屋でホテルが取れなかった。カプセルも埋まってた。

そして今、池袋でホテルが取れない予感。

「景気が良くなっているんじゃないか?」

それは、こんなことでも感じられる。

眠い。

人の声

iPodに押され気味だったウォークマン。未だ押されているのかもしれんけど、日本では善戦しているとも聞くウォークマン。今の売りは音質らしい。Appleに対するソニーらしい差別化かもしれない。

で、何の気なしにウォークマンで試聴をしてみた。音質が売りなんだから、音がいいだろうと。接続されていたヘッドフォンもソニー製。2万超の結構いいモデルだ。
ウォークマン本体の音も、ヘッドフォンの音も恐らく悪くない。良い。だが、僕には良い音に聞こえなかった。
余りにもヴォーカルが加工されすぎていて、全然いい音に聞こえない。伸びやかさがない。大袈裟に言えば、人の声に聞こえない。裏を返せば、それがありありと分かる程度にウォークマンの音質は良かったとも言える。

技術が進化して、音程だろうがタイミングだろうが好きに加工できるようになって、今どきのポップス系のヴォーカルなら、多かれ少なかれ加工はされているだろう。だが、(基準は人によるが)程度ってものがある。無論Perfumeのような、それがコンセプトになっているヴォーカルなら気にもならないが、「この人はそうじゃないだろ?」って人までそうなっているのはねぇ…

実際問題、アイドル的な歌手にプロの歌唱力を求める人なんてどれくらいいるんだろう?音が外れるのも魅力なんじゃないか?

そんなことを剛力彩芽の歌を試聴しながらビックカメラで考えていた。

2013年11月28日木曜日

ファッション感覚

そういえば先日、腰パンをカッコイイという人に初めて出会った。

ぼくはどう見てもカッコイイと思えない。モビルスーツに例えたらゾックみたいになるあのスタイルにカッコ良さを感じられない。

曰く、カッコイイ男の子がしてるとカッコイイらしい。なるほど。
女性視点だとそうなるのかもね。尤も、腰パンしてるのは大概男なので、男でも当然カッコイイと思う人がいるのは間違いないだろう。

見た目で言うと、女性に関しても気になることを言われた。
なまじリアルタイムで見たせいか、あのバブル時代のファッションを今見るとどうにもダサい。
だが、世代を超え、あの時生まれていたか幼子だった世代には、今カッコよく見えることがあるらしい。あの、エナメルのような服も、あの、パッドを入れてまで作った吉川晃司ばりの肩幅の広さも、あの、デカいバックルのベルトも、新鮮に見えるのだろうか?(ただしトサカはNGと言っていた)。

NHKのドラマの影響で80年代リバイバルブームが来てるとかなんとか。
ともすれば、それに続く90年代前半くらいまでのファッションが再注目されることもあるのかなぁ…

とりあえず、僕としては、全ての女性アイドルが聖子ちゃんカットになるのを期待している。80年代女性アイドルは、殆どデビューするとき聖子ちゃんカットだったからなぁ。
女は聖子ちゃんカット。男はチェッカーズカット。もう街はそんなので溢れかえっていた。

2013年11月27日水曜日

祝日の土曜日

この間の土日は連休。土曜日が祝日だったから連休ということらしい。
でも、普段から土日が休みだとそんな実感は無い。

だが、いつもの土曜日との違いは確かに感じられた。
たまに行く店がやっていない。
「土曜も休むことにしたのかな?」
とか思いながら別の店へ行きその話をする。
「祝日だから休んでるんじゃないですか?」
「あ…」
そうか。

それから暫く後、別の店へ行こうと電話をする。出ない。
「祝日だから早く閉まるんじゃないですか?」
「あ…」
そうか。

もう何年も土日休みの生活をしていると、土曜日が祝日だろうと何も変わらないように感じてしまう。
だが、変化は確かにある。
ホテル取れなかったしなぁ…

2013年11月26日火曜日

姓名判断

姓名判断に限らず、占いってのはどうにもアテにならないことがあって。



結果を見てると、人に恵まれるのか恵まれないのか。金に恵まれるのか恵まれないのか、
「どっちやねん」
と言いたくなる。

こういう、機械的に出てくるものじゃなくて、占い師が説明するのならその場に合わせて色々言って辻褄を合わせようとするんだろうが。

人生が未だ終わってないから結果は言えないが、今んとこ取り立てて良いとも言えないが、悪くもない。だから、当たってるとも言えるし、当たってないとも言えるような気がする。

ボジョレー

僕の飲みに行く店には何故かボジョレーが無い。
土曜の夜、錦三丁目。
「ボジョレー無いの?」
という僕の問いに
「やってません」
という返事。
「僕の行く店、どこもボジョレー置いてないんだけど」
と言うと、
「まともな店に行ってるってことですよ」
との返事。うぅん…

確かにボジョレーを美味いとは思わない。過去に1度だけ、「お、これは!」と思ったものがあったけど、値段聞いたらボジョレーとは思えないものだった。その金額ならボルドーかブルゴーニュの普通のワイン買うわと…

新作のハリウッド映画の評判宜しく、毎年出来の良いボジョレー・ヌーヴォー。以前より沈静化したとは言え未だ毎年話題になる。それに対して批判も出る。曰く、
「フランスでは数百円の酒を数千円も出して」
とか、
「騒いでるのは日本だけ」
とかね。

僕の中では、それらの批判に対して違和感がある。

金額に関してはその通りだけど、金額差があるからって、「じゃ、その金額差のためにフランスへ行くの?」って思うのね。それは実に馬鹿らしい。フランスへ行く用事もない日本人がボジョレーを安価に飲むには日本で売ってるものを飲むのがベストソリューション。そして、ボジョレーなんて旅費と時間をかけて飲みに行くようなものじゃない。
そういえば、金額に関して言うと、ペットボトルのボジョレーって500円くらいからあったような気がする。

騒ぐことに関しては、クリスマスだってハロウィンだってバレンタインだって似たようなものだ。土用の丑の鰻だって同じようなものだ。気に入らなければその騒ぎに混じらなければいい。他人がやっていたって自分がやるかどうかの選択は自分で出来る。
ボジョレーより美味いワインなどゴロゴロあるだろう。でも、ミーハー心が少しでも残ってると、「ちょっと飲んでみるか」となっても不思議じゃない。会話のネタが一つ出来るしね。

上述のとおり、同じ金額ならもっと美味いワインがあることなどワインに疎い僕でも知っている。でも、祭ってそういうものなんじゃないかな。
フランスの酒で盛り上がる理由なんて日本人には無い。でも、クリスマスやらハロウィンやらと、日本人ってそういう他国のこと、自分と関係のない宗教の祭でも、「何かしらイベントができるならやろう」ってところあるし。
あと、ボジョレーに関しては、日本が1/3を消費してるっていうし(資料を漁ってたら、2007年には何とほぼ半分が日本で消費されていたらしい)、今となっては日本が消費しないとボジョレー業者にとって大ダメージだ。経済を回すためにも、祭はあっていいんじゃないかと。

ここまで書いておいてこんな締めもアレだが、多分、今年もボジョレーは飲まずに終わる。

商品名

爪が割れているので、瞬間接着剤でくっつけていたんだけど、それが剥がれた。手元に瞬間接着剤が無い。バンドエイドでもあればと思って、
「バンドエイドでもいいんだけどさ」
なんて言ってみたら、
「それは商品名だ」
と言われた。OK!
「救急絆創膏」

果たして救急絆創膏を「バンドエイド」と言うのが全国的に最もポピュラーなのかどうかは知らない。特定のメーカーに肩入れするつもりはない。あまつさえ他国企業に。とはいえ、特定のメーカーの商品名ではなく、モノの名前を言ってもいいんだけど、却って伝わらないんじゃない?ってものもある。どこぞのメーカーの商品が、そのカテゴリの代名詞になっているようなもの。昔のウォークマン、今のiPodみたいな。上述の救急絆創膏しかりだ(あぁ、何故又他国企業の商品…)。

面白いことに車は車。スポーツカーであっても、スポーツカーを全部纏めて「フェラーリ」や「ポルシェ」などと云う事はない。そういえば、腕時計もそうだ。この、特定メーカーの商品が、そのカテゴリの代名詞となる基準は一体何なんだろう?
かつてゲーム機は一緒くたに「ファミコン」と呼ばれていた。当時の大人達から。レジスタンス精神に溢れいていた当時の僕らは
「これはファミコンじゃない。セガサターンだ」
「これはファミコンじゃない。アタリのジャガーだ」
などと、正しい商品名を言うことを訴えていた。だが、
「どうせ言うならテレビゲーム機と言え」
などとは言わなかった。「(テレビ)ゲーム機」なら間違ってないのにね。
そういえば、今時のゲーム機は全て機種名で言われる。お年寄りにも機種名で言われる。ゲーム機が車に近くなってきたんだろうか?

さて、上述の「バンドエイド」に対する指摘だが、本人に
「ではウォシュレットは温水洗浄便座って言うんだな?」
と問うてみたが、はっきりとした返事は得られなかった。
ウォシュレットのカテゴリ内での代名詞としての安定度は群を抜いていると思う。

2013年11月25日月曜日

久しぶりにボーリングをやってみた

結果。ひでぇ…


最近、久しぶりにボーリングをやりたいと思っていたので行ってみた。もう何年やってないか覚えてないくらい久しぶり。
友人と二人で行き、1ゲームだけやるつもりが、そのゲームの結果の不甲斐なさに納得いかずもう1ゲーム。
でも、結果はこんなもん

どうにか100を超えた…
しかし2ゲームやって2人共1度もストライクを出せないとは…

スコアもそうだけど、衰えを感じたのがボールの重さ。昔は13か14ポンドを使っていたのに、1ゲーム目は12ポンド(まぁ、13以上が無かったんだけどさ)で、それを重く感じて2ゲーム目は11ポンドに変更。

うぅん、今度一人ボーリングに行って鍛えるか…

2013年11月21日木曜日

クリスマスイブ

ついつい買ってしまった。おまけDVDに惹かれて。
音源は当然持っている。リマスターされているから音はこちらのほうがいいかもしれない。とはいえ、買い直すほどでもないだろう。もっともライヴ版が入っているので、そちらは聴く価値がありそうだ。

とりあえず観出したおまけDVD。
なんだ、この甘酸っぱさは…続きを観たくなるけど、時間が時間なので我慢我慢。

短気改善

自分が理不尽な目に合うのも納得いかないが、他人がそんな状況であっても納得がいかない。
他人のことだと、自分でどうしようも出来ないので尚の事腹が立ったりする。

別に悪いことをしている訳でもなければ、本人が間違っている訳でもない。状況的にどうしようもない。それでも責められたりしている人を見ると、その責めている方に対して腹が立ってくる。
飲んでいる席でも、全然知らない客のやりとりでそんな光景を見たりして気分が悪くなったりする。
もう、こういうものは性分だから仕方がないんだが、自分が腹を立てても仕方がないことなど重々分かっている。でも腹が立ってしまう。

帰り道のタクシーの中、なんでこう腹を立てなくてもいいところで腹をたてるのだろう?と自分で自分が不思議だったのだが、どうも僕は自分の中で筋が通っていると思えないことに腹が立つらしい。否、前々から、ずっと前からそういう性分だと分かってはいたんだが…

そういうことを気にせずにいられる人もいる。正直、「なんで?」と思っていたが、最近うっすら気付いたというか疑惑が浮かんできた。
僕は他の人と比べて、年齢の割に人に会っていないのではないだろうか?
色々な場面に遭遇していないから、他の人なら気にしないようなことを気にしてしまうんじゃないか?

人生の折り返し地点も過ぎたことだし、後悔がないようにもっと人と出会ったほうがいいと思えてきた。
取り敢えず、目標は合コンかな。

2013年11月19日火曜日

相席

時々、飲み屋で絡まれることがある。ライトなものからヘヴィーなものまで色々ある。

最近、何故か毎週末毎日飲みに行くことになってしまっているのだが、先週末も金土日と呑みに行っていた。

金曜日は新橋。滅多に飲みに行かない場所でウィスキーをちびちびとやっている。そこで耳にした会話にうっかり入ったのがまずかった。といっても、名古屋のバーが以前出した山崎オーナーズカスクをその店に売ったというだけのことなんだが。売価も買った時の値段。
元々、1つ空いた隣の席に座っていた人が、
「今山崎のミズナラ売ったら高いの?」
みたいな話をしていたから言っただけのことなんだが、その後
「俺は飲むために酒を買っている」
みたいなことを何度も言っていた。僕が手持ちの酒を売ったのってこれが初めてなんだけどなぁ…それもその店が出した酒がもう無くなったという事情があって売っただけなのに。どうしてこうなるのか…

翌日、土曜日。松戸のバーで飲んでいたら、これまた隣の人がサッカーの結果を話していた。ただ、ピンサロで見たという話をしていたのを聞いて
「あぁ、隣りに座ってるこの人、さっき抜いてきたんだ」
と思ったら、微妙な気分になってきた。
暫くして別の店に移動。
移動した店では1つ空いた隣の席に酔った女性が座る。結構支離滅裂(まぁ、酔ってるからね)
「彼氏欲しい」
「セックスしたい」
を連呼するその女性から
「彼女いないの?」
と聞かれる。なんだこの直球。

翌日、日曜日。全日2軒目に腕時計を忘れたような気がしたので再訪。だが、腕時計は無し。
カウンターの端で飲んでいると、カウンターの反対側の端に離れた席に女性2人組が来た。
しばらくすると、
「お兄さんも一緒に飲みましょうよ」
と言われ、隣席へ移動。2人共二十歳だそうだ。若い。綺麗。
バーのマスターがガンダムについて話をしている。片方の女性が
「ガンダムって、ガシャンガシャンっていうやつ?」
と、鉄人28号を思わせる擬音で話される。合っているとも間違っているとも言えない。
その後、隣席の女性の彼氏が来て1つ場所をずれる。
彼氏が来た方ではない女性。僕から離れた場所に座っていた女性の彼氏は何と50歳だそうだ。それを聞いて、38歳のマスターは希望を持てたようだが、その50歳は会社の経営者だと聞くと意気消沈。まぁ、世の中そんなもんよね。
因みに、30歳も歳の離れた人と付き合っていて会話が合うのか聞いてみたら、全然問題ないらしい。彼女が老けているのか彼氏が若いのかはわからないが、歳の差があっても会話は普通に成立するらしい。一筋の光明か。

2013年11月18日月曜日

スキマスイッチ@さいたまスーパーアリーナ

「この歳になってずっと立ってるライヴなんて…」
と思っていたけど、一念発起して行ってみたスキマスイッチのアリーナツアー最終日、さいたまスーパーアリーナ。

とりあえず、先に感想だけ書いておくと、滅茶苦茶楽しかった。
ツアータイトルがベスト盤のタイトルなんだから、知ってるような歌ばかりがじゃんじゃん流れる。一曲目の選曲が意外だったけど、そのおかげか最初から盛り上がった。
僕の席はステージから離れた場所だったんだけど、アリーナツアーだから?ステージから会場の真ん中あたりまでコの字型の通路が出ていて、その通路の角あたりまで来ると結構近くで見ることが出来たのも嬉しいところ。

このライヴを見てて思ったのは、ファン(お客さん)への感謝の気持ちがにじみ出てくるようなライヴだなっていうこと。その気持ちで、見ていたこっちまで嬉しくなるような感じだった。

ところで、最近、なんでこんなに自分がスキマスイッチ好きになったのかを考えていたんだけど、曲がいいとか歌がいいとかという理由以外に、僕にとって大きな理由の一つは、やはり同郷ということにあると思う。
スカーレットという歌に出てくる「スカーレットの電車」って名鉄電車だし、「センチメンタルホームタウン」という歌に出てくる「グリーンロード」は猿投グリーンロードのことだろう(と勝手に思っている)。
こういう具体的にわかるような事柄だけでなくても、恐らく同じ地域で育った人には共通の感覚っていうものがあって、それが僕にとっての共感を生む一つの要因になっているんじゃないかな?

とはいえ、それは僕に限った話で、人それぞれに全然別の理由があると思う。実際、会場では僕より年上と思われる人もみかけたし、逆に中学生くらいの男子が来ていたり、老若男女結構客層が広くてびっくりした。会場の男女比率も思ったより女性に偏っていない(僕の周囲は全員男だった)。

行ってみて、とにかく良かったし、立ちっぱなしを敬遠して、今までこういうライヴを避けていた自分がバカみたいだった。人生損してた。
年末の上原ひろみも取れなかったことだし、12月28日のスキマスイッチの武道館ライヴのチケットを取ることを決意した。

2013年11月17日日曜日

同窓会

土曜日に高校の同窓会があったらしい。

「何で俺には連絡がこないんだよ〜!」

って一瞬怒りがこみ上げてきたけど、冷静に考えてみれば、僕は今の住所を連絡していない。案内状を出すことが不可能なのだ…自業自得やね。

じゃ、何故同窓会があったことを知ったのかといえば、同窓会に行っていた同級生からのメールで。

どうせなら案内が来た時に連絡が欲しかったと思わなくもないが、考えてみれば名古屋にいる人からすると「千葉に住んでちゃ出席は無理かな」と思われるかもしれないな。
ホイホイ名古屋へ帰っている僕からすれば、場所など関係なく出席したい事には出席すると思うけど。
そういえば名古屋に住んでる時も「飲みに行こ」って思って金曜夜の新幹線で東京へ来たりしていたな。フリーダムな生活してるわ。

とはいえ、事後連絡であっても、同窓会に行って僕のことを思い出してメールしてくれる友人がいるってのは嬉しいことだ。

2013年11月16日土曜日

自由とは?

「自由」とはなんぞやと。

昨日、とある方に

「金あると自由ですよ」

と、軽いジャブを振ってみた。すると、

「金があると何故自由になれるんですか?」

と返された。

これに関して僕の持論は以下のようになる。

金が無いと食いもんもロクに選べない。自由に好きなものが食べられない。これは不自由だ。
好きなものも買えない。行きたい場所に旅行にも行けない。これは不自由だ。
だが、金があれば完全な自由を手に入れられる訳ではない。金では手に入らないものもあるし。
僕の考える「金のある自由」とは、選択肢が増えること。選択できない不自由を減らすことが出来るということ。

その旨はお伝えした。然るに、

「金を得るために人を殴ったとしますよね、それは人の自由を奪って自分の自由を手に入れていることになります。他人を不自由にして自由と言えますか?」

なるほど。確かにそういう面もある。だが、これに関しては、

「金を得る方法は一つではない。人の自由を奪わずに金を得る方法はあるはずだ。」

としか言えない。この文を読んでいる人は

「普通に働けばいいだろう」

と思われるかもしれないが、自分の労働が誰かの職を奪ってその人を不自由にしているかもしれない。そういうツッコミをされたら、僕はそれに対して理路整然と反論を言える自信がない。

因みに、その時にこのような話もした。
多くの人は、金を得るために仕事をする。そして、決まった時間を拘束される。これは不自由だ。とんでもない不自由だ。
金を得た後に得る自由は、自分の不自由の代償として得ている。ともすれば、それは完全な自由ではない。こういう反論が来なかったのは少々不思議だったが、とにかく僕が先に述べた「金がある」自由は、殆どの場合完全な自由ではない。

こんな矛盾を考えていると、完全な自由なんてものはそもそも無いんじゃないか?と思える。
ってか、この手のことを考え始めると、大抵行き着く結論は、

「自由って何?」

ってことよね。

例えば恋愛関係。男女共だが、「お互いの自由を尊重する、相手を不自由にしない」というルールを二人の間に設けたとする。ともすれば、浮気をされても黙ってなきゃいけない。他の相手と何をしていようが、彼氏、彼女(当然夫や妻も)の自由を尊重してあげなきゃいけない。反面、自分も好き勝手出来るわけだ。
尤も、世の中の人達がそんな人付き合いばかり始めたら、恋愛、ひいては結婚など誰もしなくなりそうな気がしないでもないが。

結局、自由とは、特に、特定の事柄に拘らない完全な自由とは何か?はわからない。そして、その自由を得た時、個人が今以上に幸せになれるのか?世の中が今以上に良くなるのか?がわからない。

こんだけ1つの文に何度も「自由」って書かれてると、読んでるだけで「自由って何?」になるよなぁ。

2013年11月14日木曜日

一人称

ふと思った。
日本語は一人称が多い。
僕、俺、あたし、私、自分、世、麿、小生、あっし、アタイ、あちき、日本語じゃないけど、ミーとか。

さて、「世」って言う奴いるのか?いや、「麿」や「小生」もそうなんだけど、今言ってる奴いるのか?そして、将来、言う奴は出てくるのか?

恐らく、「世」という一人称を使うのはかなり高貴な方。つまり、僕が一生会う可能性の低い人。
収入や資産を超えた高貴な人。多分、年収数十億とか、資産数千億の人と会う確率より、一人称が「世」の人と会う確率は少ない。

そんなことを考えていたら、無性に一人称が「世」の人と会ってみたくなってきた(そもそもいるのかどうかわからないが…)。
どんな生活を送ればそんな人と遭遇できるのだろう?

いくら屋

「いくら屋に行きたい」
という希望に同行し飯田橋。場所は以前
ちんぶろぐ: あんこう
で行った店。
ここは今の時期(と言っても今週末まで)はいくら屋だ。
 最初に出てきたいくらの刺身。
「刺身っていくらは生じゃん」
 と思いきや、醤油漬けされていない生のいくらは卵黄のような感じ。すだちを絞っていただく。筋子のような感じで2房出てきたが、食感は普段食べているいくらと違う。こってり。これを食べただけでも来た甲斐があったと思える。

そして、いくらのマリネとコロッケ。どちらも美味いが、コロッケの方はいくらの塩気とチーズの味だけでいただける。塩も出してもらっていたけど結局使わなかった。

締めのいくら丼。言うまでもなく充実のいくら。添えられた味噌汁と漬物にほっとする。


今はいくらの店だけど、コースの合間にもいくら以外のものが出てくるし、一品物も注文できる。ハタハタの一夜干し、秋刀魚の煮たやつ、銀杏。あと、写真を取り忘れたが牡蠣の塩辛も旨かった。

コースのデザートのアイス。

プリン体が少々心配だが、いくらを十分堪能できた。

2013年11月13日水曜日

洗濯乾燥機の弊害

まぁ、弊害ってかアホなだけなんだが…

家事が苦手な僕は乾燥機付きの洗濯機を使っている。冬時や梅雨時は重宝する。尤も縦型の洗濯乾燥機は衣類がシワシワになるので、乾燥は下着類のみに留めたほうが良いだろう。長袖のシャツなんてコークスクリューパンチを打った後みたいになる。

で、先日も洗濯機で乾燥まで行った後の衣類を洗濯機に入れたままにしておいた。
そして洗濯の日。洗濯機に入っていたそれを、汚れ物と勘違いし、他の洗濯物をどんどん入れていった。

「なんか妙に多くないか?先週洗濯し忘れたか?そんなことないな」

どうにか洗濯物は洗濯機に入った。そして洗濯開始。

洗濯が終了した後、洗濯機を見ると妙にTシャツが多い。一週間でこんなに着るはずが無いほど多い。そこで気付いた。

「あ、乾燥してあった奴又洗っちゃった…」

やはり、洗濯物は洗濯が終了した後にきちんとたたんで仕舞っておいた方が良さそうだ。

2013年11月12日火曜日

年末年始の上原ひろみのライヴを断念

土曜日の朝11時から年末年始の上原ひろみのライヴの予約だった。

金曜の夜から名古屋へ移動し、土曜の昼に東京へ戻る予定だった僕には実に悩ましいタイミングだ(まぁ、そもそもJAM SESSION会員の有効期限が切れてることに気付いていればこんなことにならなかったかもしれないんだが…)

新幹線の中での予約はありえない。なんせ無線LANの繋がりも電話の繋がりも悪い。となればホテルなんだが、大抵のホテルは10時か11時にチェックアウト。街のカフェでバタバタするのも忙しなくて嫌な感じだ。
そこで、栄のカプセルホテル。チェックアウト13時って素敵。しかも無線LANサービスあり。素敵。
11時になる前からホームページへの繋がりの悪いブルーノートに一抹の不安を覚えながら、2台のスマホとPCとタブレットで予約に挑戦。
兎に角、ネットの方はダメダメ。トップページすらロクに表示されない。電話の方は繋がる。NTTに。固定の「大変混雑しております」のメッセージ。
30分ほどの格闘の末ようやくネットでスケジュールページを開けた。全日満席。

未だ電話なら取れるかもしれない。相変わらずNTTしか出てくれない。
もう、ここで諦めた。

ま、年末年始のスケジュールが立てやすくなったから良しとしよう。
無論、年末になればキャンセルを期待してブルーノートへ電話をするのだが。

錦三丁目の新顔

刈谷のfinchが名古屋へ移転したので、先週の金曜日は仕事が終わると即名古屋へ移動。

これはお祝いを買いに行った帰りの写真。
何にしようか悩んだけど、グラスなら幾つ有っても困らないだろうという判断でグラスにした。

店内の僕が座った場所の景色。デュワラトレー が並んでいた。

飲んだ酒。
 久しぶりに60年代蒸溜のボウモアを飲んでみた。そして、開封してもらったファイティングクック8年と、こちらは開封済みだったジャズクラブの15年。
 他にも「あ、これは!」という酒があったので、それは今度開封してもらおう。

ジャズクラブの注がれたグラスはサンルイ。
刈谷のこの店で見て気に入ってその後自分でも買ったグラスなのよね。

刈谷で開店して今年で10周年の節目で錦三丁目への移店。
アクセスも良いので、これからも名古屋へ帰った折にはちょくちょく寄らせてもらおう。

2013年11月8日金曜日

老害


昨日と似たエントリをもいっちょ。
普段ならこんなことはしないが、ホリエモンの新刊を読んだ影響ということで…

若い頃、飲んだ席で年上の人に
「そうじゃないんだよ」
とか
「わかってないな」
と言われる度に不愉快だった。当時の僕はその相手に対して、歳こそ取っていても、それ以外にこの人が僕より優っていると思えることが無かったからだ。まぁ…若気の至りね。
とはいえ、今になっても否定されたことに対して
「そうだった」
と思うことは無いし、やはり、自分の考えで間違っていなかったと思うことが多い。

思うに、他人の意見に対して否定から入るっていうのは、そういうことで相手より自分のほうが優位に立ちたいとかそういう気持ちの表れなのかもしれない。不遜ながら、相手より若いのにその人と同じかそれ以上の事が出来てしまっていたのが問題だったのだと思う。歳を取れば取るほど、自分より若い人が自分より優れていると認めるのは中々難しいものだ。

自分より若い相手に対して、やたら否定的な意見を言うのは、「こんな若造に!」みたいな気持ちの裏返しなのかもしれない。僕が一番なりたくないタイプの大人だな。

僕は「年齢」しか武器がないおっさんになるのが死ぬ程嫌だ。「年齢」だけで自分より若い人に対して偉そうな態度を取る年寄り。確かにそういう人はいる。僕の中で「老害」という言葉が指すのはそういう人だ。
そもそも、年齢に見合った年のとり方をした大人なら、逆に自分より若い人に道を譲るくらいの器量があって然るべきだろう。尤もそれだけ器量のある大人に対しては若者も譲ってもらった道を率先して進まずに、その人がその道を通った後を慕ってついてくるんだろうけどさ。

歳を取っても、若者に対して張り合おうという気合は素晴らしい。でも、それはあくまでも対等に接してこそだ。大体、何かで他人と張り合うときに、年齢や経験を引き合いに出す必要はない。本当にそれが価値を持っているならば、それは自分のイニシアチブ。口に出すまでもない優位性。もし口に出すなら
「僕のほうが経験があるから有利で申し訳ない」
といった内容になるだろう。

もし、僕が才能ある若い人を僻むなら、先に上げたような言葉を選ばない。
「俺は、自分より若くて才能のある奴が嫌いだ。」
と言う。そしてそれは既に実行している。
ま、これもダメな大人なんだけど。

2013年11月7日木曜日

「できない理由」と「できる方法」

人と話をしていると、誰かの考えに対して否定から入る人がいる。
「xxxをしようと思うんだけど」
なんてな事に対して
「なんでそんなことするの?」
とか
「そんなことよりもoooの方がいいって」
みたいな。

例えそう思ったとしても、先に一言肯定の言葉を入れれば言われた側の相手の印象も変わるし、その一言を言う「間」が自分の中で次の言葉を言うべきかどうか、どのように言うかを考えさせてくれる。
そもそも、社会に出てから向きあう問題には正解が無いか、正解が複数あるかのどちらかが殆ど。唯一の答のみが真である学生時代のテストじゃない。異なる意見それぞれに良い面悪い面があるものだ。
だから、自分なりの意見があるとしても、
「なるほど、そういう考えがあるんだね。僕にはこういう考えがあるんだけど。」
とか、
「そういうことなら、こういうこともしてみると更にいいと思うよ。」
みたいに返事をするだけで印象は変わると思うんだけどね。



例えば誰かが突拍子もないアイディアを出したとしよう。
「そんなの無理だ」
と否定するより、
「こうしたら出来そうだね」
という意見を出した方が建設的で面白いと思うのだが、そういうものでもないのかな。

大体、友達同士での雑談で出てくるアイディアなんて、その場で消えてしまうようなものだ。だから否定しようが肯定しようが何も産まれはしない。これは99%どころか、そっから先10個くらい9が付く位の確率でそうだと思う。
でも、だからといって話を終わらせる事もないと思う。どれだけ低くても可能性が0%ってわけでもないしね。

根本的に、実際に事が動き出すかどうかは別にして、「できない理由」を考えるより「できる方法を」考えたほうが面白いというのが僕の考えだ。

無論僕もつい否定から入って話をしてしまうことはある。だが、自分なりにできる方法を考えて話し合いをした方が面白いと思うので、なるべくそうするように気を遣っているつもりだ。

ただ、相手がネガティブな事を言っている場合は流石に否定から入ったほうがいいように思えてしまう。まぁ、この場合は、別かな。流石に
「僕なんて死んだほうがいいんだ」
なんて言ってる人に
「そうだね」
とは言えないよなぁ…やっぱり。

2013年11月5日火曜日

背後霊と守護霊

先日のビデのボタンの話をしていた時、他にも色々話をしたのだが、その中の一つ。

その店は流行っている時は(当たり前ながら)満席なんだが、そうじゃない時もある。マスター的には状況を改善するために厄払い?お祈りに行ってきたらしい。
神社へ行き、お祓いと商売繁盛祈願で2つ。共に2回くらい棒を振られただけで終わったらしく、本人的には微妙な感じだったそうだ。まぁ、だからって1000回振ったらいいのか?って感じもするけど。

さて、その店がイマイチ流行っていない理由の一つは以前聞いたことがある。
お店に来たお客さんの一人が霊感の持ち主で、その人の話によると、店の入っているマンション(店はマンションの1階にあるのだ)で飛び降り自殺があり、その自殺者が店の前で地縛霊となっていて人を寄せ付けないから店にお客さんが入ってこないとのこと。

この話を以前聞いていた僕は、
「店の前の地縛霊のせいなんだから、マスターがお祓いしてもらってもしょうがないでしょうが。」
と言ったら、マスターが
「いえ、この間他の霊感を持ってるお客さんが来て、店の前にそんな霊はいないっていう話だったんですよ。」
との返事。
こういうことがあるから、霊感ってのもイマイチ信用できないんだよね…

で、その新たな霊感者によると、マスターには守護霊として、不動明王が付いているらしい。で、この辺りだと成田さんに祀られているから、来年の初詣は成田山に行くんだとか。
信心深いのは悪いことじゃないし、気の持ちようってのは人生で案外大きなファクターを持つから、それは問題じゃない。

そして、その時マスターからこんなことを聞かれた。
「背後霊と守護霊って何が違うんですか?」
聞く相手間違ってるよ…それこそ、その霊感の持ち主に聞けよって感じだ。取り敢えず、
「背後霊って、何があってもずっと後にいるんじゃない?守護霊って敵が前から来たら自分の前に出てきて大の字に立って守ってくれそうじゃん。」
って言ったけど、イマイチ納得してないようだった。
背後霊と守護霊が別物であれば、自分の周りには二人以上の霊がいるってことで、僕やマスターのような霊感の無い人には感じられないから、普段何も気にしていない。で、そのマスターに
「守護霊とか背後霊がいたらさ、うんこしてる時もセックスしてる時も近くで見られてるよね。」
と言ったら、物凄く嫌そうな顔をしていた。どうやら露出の趣味は無いようだ。

ところで、不動明王なんてご立派な守護霊がいたら、客入りがどうとかセコいこと着にしなきゃならん人生を送ることなんてなさそうな気がするんだけど、その辺はどうなんだろう?
例えば、聖母マリアが守護霊についてる主婦が家計簿を見ながら
「はぁ…今月も赤字だわ。いよいよパートに出たほうがいいかしら」
なんて言ってる画は想像がつかない。

2013年11月4日月曜日

クリス・ハート、今井美樹、村下孝蔵

何気なくタワーレコードへ。

適当に日本人のコーナーを眺めていたら、村下孝蔵の未購入なアルバム発見。ギター弾き語りモノ。買うか迷い、取り敢えず保留。その後新譜コーナーへ(冷静に考えてみりゃ行く順序逆だよな…)。

今井美樹のユーミンカバーを買うかどうか悩んでいると、その隣に松田聖子が外国人とデュエットしてるシングルが。
「相変わらずの外人好きね」
なんて思いながら更にその松田聖子のCDの棚の下を見ると、デュエットしている外国人、クリス・ハートのアルバムが。
見てみると、邦楽のカバーアルバム。
「黒人が日本の歌?ジェロ的なもの?二匹目のドジョウ?」
そんな事を思いながら、試聴用のCDを聴いてみる。
「上手ぇ…」

歌の下手な黒人なんて、サッカーの下手な静岡県民くらいレアだと思うけど、単に歌が上手いってだけじゃなくて、日本語の発音がいい。歌詞の中に出てくる英単語もきちんと日本人発音。曲中の英語に関しては早見優やバナエイチのMiNoタンより日本人してる。
今のところ僕の一番のお気に入りは平井堅の「瞳をとじて」のカバー。

結局、そのCDを手に取り
「これを買うなら、あれとあれもだよな…」
自分の中できちんと論理展開は出来ないが、レジに立った時、僕の右手にはクリス・ハート、今井美樹、村下孝蔵のCDが握られていた。


銀座で寿司

「銀座で寿司ランチに行くので、一緒にどうですか?」
というお誘いを受けたので、喜んでOKした。
一柳
行ったお店は「一柳」さん。
「写真を撮ってもいいですか?」
と聞いたら、
「どうぞ」
とのことだったので、QX100を出す。
すると、板前さんが物凄く興味津々な感じ。スマホに繋いでQX100のレンズに入ってきた画像がスマホのディスプレイに映る様を見せると感心していた。
その後、中居さん(でいいのか?)にも
「そうやって使うんですか。さっきから気になってたんです」
と言われ、新しモンの注目度を感じる。

食事中は、同行者との会話も勿論だが、一品一品出てくる毎に板前さんが説明や、そのネタにまつわる話なんかをしてくれる。今日は出なかったけど、秋刀魚の話題が出たら秋刀魚の話なんかもしれくれる。向こうはプロだから、知識があるのは勿論だけど、聞いていて
「なるほどー」
と思えることだった。例えば秋刀魚は九州まで下りて行くけど、その頃には脂が落ちているから、生食用より蒲鉾で使われるようになるとか。板前さんとほぼサシでいられる空間だから、ゆっくりこういう会話が出来る。こういうことも店の価値の一部よね。

食べ終わった後、どうしても気になっていたので
「この皿、信楽ですか?」
と聞いたところ、やはり信楽焼だった。店のカウンターのサイズに合わせて作ってもらったものとのこと。なるほど。確かにサイズが合ってる。そして、一皿一皿毎に形と模様が違う。

料理の味も勿論だけど、お店の人の接客やお店の造り、使っている器なんかも
「いい店に来た〜」
って感じられるもので良かった。

未使用ボタン

「天才」という言葉の定義、そのままなら「天賦の才」、生まれ持った才能を指す。
ってことはさ、その優劣はさておき、誰しも生まれ持った才能はあるんだから、
「皆天才じゃん」
って思ったりもするんだけど、所謂「天才」は非凡な才能を指す。

で、世間的にはスポーツや芸術的な才能を除くとお勉強が出来るような人を「天才」なんて言うことも多いような気がするけど、僕は物凄く知識があって、お勉強的な意味で頭の回転が速い人に会っても、凄いと思うけれど余り天才的なものを感じない。

ぼくが天才だと思うのは、自分の想像の範疇を超えた発言ができること。あと、発言のタイミングがいいこと。これ。その間でそれを言えるというのが、僕にとって天才を感じる時なのだ。

昨晩、飲みに行った店でのこと。海外にはウォシュレットがないからやっぱり日本凄いって話を店のマスターとしていたんだけど、その時ウォシュレットの「ビデ」の話になった。
そのマスターは
「あれって金玉マッサージするんじゃないんですか?」
と言っていたので、僕が
「あれは女性が月一で使うものでしょ?」
と言ったら、余り納得していない様子。曰く、角度的におかしいとか何とか。
その上、「女性向けなら、小の後に使って綺麗にして拭かなくて済むようにするんじゃないか?」と言い出したり。否、それ濡れてるから結局拭くし…
で、結局聞けそうな女性客が来たら聞いてみようという話になって、その後別の話を始めた。

そして暫くしたら女性の一人客が入ってきた。
すると、そのマスターは注文を聞くでもなく、その女性に唐突に
「ウォシュレットのビデって何に使うんですか?」
と聞いた。この間が絶妙で、僕は彼に天才を感じてしまった。
僕なら、他の話をし始めて10分も経てば、こんなくだらない話は忘れてしまっているから、あの間で聞くことは出来ないだろう。

で、聞いてみたはいいが、その女性はビデが何なんかを知らなかった(ってどうなんだ、ソレも…)。
するとマスターはトイレに入っていった。
「自分で試しに行ったんですかね?」
なんて話をしていたら、店のトイレからウォシュレットのリモコンを持ってきて
「これですよ、このボタン」
と、その女性にリモコンのビデのボタンを見せている。

その後、その女性もビデの利用方法を「小の後に拭かなくて済むように洗うんじゃないかな」と言い出す始末。
だから、小の後綺麗にするためのものだったとしても、「拭かなくて済む」ことはないだろう…水が出るんだから。

結局僕がググって結果を見せたわけだが、それでも、微妙に納得していない様子だった。

2013年11月1日金曜日

Thinking Time

何もできない時間というのがどうも苦手で、そういう間何をしていいか困る。

先日、マッサージで施術してもらっている間、身体はほぐしてもらってるからいいとして、頭は何もすることがない。こんな時でも思考を停止するなんてことは出来なくって、何かしら考えごとをしている。

この時考えていたのは間違い電話の返事。
殆どの人が携帯電話を持ち、登録された番号でかけてくる昨今。間違い電話なんて殆ど無い。特にぼくの場合は携帯を2台持っているのだけど、サブの方の携帯は自分を含め誰も番号を知らない。だから、この電話の呼出音が鳴るとすれば、それはほぼ間違いなく間違い電話だ(携帯電話会社からかかってくる可能性はあるだろうから絶対じゃない)。

さて、間違い電話がかかってきた時、どんな風に出たらいいだろう?
マッサージをされながらずーっと考えていて、出てきた答えが

「You 誰?」

だった。やっぱジャニーさん最強。
思いついた時、マッサージされながら突然笑い出すわけにもいかず、結構辛かった。