こういうのは言ったモン勝ちである。
- 21世紀最初の伝説
- 昭和の生んだ最後の天才
- 北関東一の営業
- セックスの魔術師
- 平成最後の武闘派
- 餃子一日百万個
こんな感じの話ね
僕の友人にK島君という人がいる。最近余り弾いていないようだが、彼のベースのグルーヴは僕にとってとても気持ちがいい。僕の中では別格で殿堂入りの松原秀樹を除くとWill Leeの次位に好きなベーシストである。
# 松原秀樹が別格なのは技量を越えた経歴。後藤次利みたいなもの
# 根岸孝旨もしょこたんの綺麗ア・ラ・モードで知ったんだけどスゲー気持ちイイ
知り合ったばかりの頃彼のライヴを見に行った。終わった後彼が僕に言った言葉が
「これで僕が天才だとわかってもらえたと思うけど」
である。いやはや痛快だ。
当時二人共二十代中頃。まぁ言いたい放題な世代な訳。その頃は僕も自分の事を天才と言ってはばからなかった。根拠など無い。若い頃はそんなものだ。
今でも1週間に3回くらい「俺天才かも」と思う。尤も1日に5回くらいは「俺はバカだ」と思うけど^^;
# だから精神のバランスを保っていられるんだろう。
歳を重ねた今となっては自分の事を天才だと思えるほど楽天的ではないし、仕事を重ねて評価は他人が下すべきものであるという考えに至っている。幸い今自分に仕事があり食うに困らない状況にいられるということはまず仕事を頂いている会社に感謝することは勿論だが、そういった評価を頂ける自分も卑下する程のものでもないのかな?と思ってはいる。
考え方は人それぞれなので何とも言えないが、インターネットという匿名性を保ったまま自由に発言できる環境下でさも己が天才である、有能であるといった旨の発言をしている人をしばしば見かける。
僕と同業もしくは類似した仕事の人であればそれを証明するのは簡単で、他人が見て目から鱗が落ちるような技術的な話でも書けばいいわけである。
# そういう内容を書くことが簡単だとは思ってないですよ。でも自分が言うほど凄ければ書けるだろうと。
そういったこともせずに他人を批判することで己が凄いと言うのは説得力が無いなぁと思える。なんせ場合によってはその相手は書いている本人以外知らない訳だ。
「会社や取引先の連中はこんなにバカだ、最悪だ」
みたいにね。多くの場合は以前居た会社。今いる所の事を書く人もいるかもしれないけど普通は自己保身があるから書かないと思う。どちらにせよこういう事は当事者以外は分からないことである。何より第三者が判断するためには双方の意見を聞かなければ何とも言えない。
書いている人が嘘をついているとまでは言わないが相手の話も聞かずに全てを鵜呑みにすることは出来ないよなぁと思う次第。
とりあえず色々、沈静化すればいいんだけどね。
前出のベーシストが僕に演奏を聴かせたように判断材料が提供出来ればそれに越したことはない。幸いインターネットではそれができるのだから。
でも…香ばしい方が人目を引くのは事実
そうそう大事な事書き忘れてた。
俺は人並み以上のモノを持っていてしかも上手いので忘れられないらしい。今日も抱いてほしいってメールが来たよ。勿論そんなの無視無視。だって出会いは毎日だって有るんだぜ!
# 俺、御塩先生になれるかな