2011年7月29日金曜日

サイゼリヤDNA

夕食にありつけないまま地元へ。サイゼリヤへ行くことに。

23時過ぎと時間が時間だったので、
「せめて炭水化物を抜いておこう」
無駄な抵抗だが。
そんなときに限って期間限定のパスタが凄く気になる。断腸の思いでパスタは断念。サラダ・エスカルゴ・ステーキの3品、それにワイン。いやぁ、こうやって何の躊躇も無く好きなものを注文出来るほどの人間になれたんだねぇ。我ながら感慨深い。

最初にサラダとワインが出てくる。
サラダを食べながらワインをチビチビ。

サラダも大分減った頃、エスカルゴとステーキが同時に出てきた。
エスカルゴはグツグツ。鉄板はジュージュー。このコンビが出てくる今は夏。出てきたときにようやく
「何考えてたんだろう…」
と気付く。嗚呼、炭水化物が欲しい。

その上エスカルゴに入っている刻まれた野菜と似たものがジェノバ風ステーキの上にも乗っている。
折角食材が違うのにわざわざカブるような味付けのものを頼んでしまったのだ。ぼくは。だってお試し期間でジェノバ風が普通のステーキと同額だったからね。

エスカルゴを残ったワインと合わせながら食べる。赤ワインも頼んでおけば万事解決だったかもしれない。とはいえ好きで頼んだものだ。組み合わせにミスったとは言え味そのものに問題はない。結局どちらも美味しくいただいた。

さて、以前サイゼリヤに非常に態度の良い店員さんがいることを書いたことがあるが、それがこの店。今日はその店員さんと違ったけど、きちんとした接客をしてくれた。
そして、食べ終わった頃に調理場の方から以前僕が書いた店員さんが出てきて、今日ホール係をやっている店員さんに指示を出しているのが見えた。なるほど偉くなったのね。


低価格が売りのファミリーレストランでこういう店員さんがいてくれるのは客として嬉しいし、その小気味よい接客が受け継がれているのも又素晴らしい。
こういうことがサイゼリヤ全店に広がれば更に素晴らしいと思うのだが。

材料がないと言われたんだが…

仕事帰り、参鶏湯を食べに。

店の扉を開けると聞こえてくる韓国語。本場の人が作ってるんだよね~って安心感。
店を見渡すとお客さんはいない。先の会話は店員同士のものだったらしい。

すぐに日本人と気付いたのか
「いらっしゃいませ」
と言われる。
「一人なんですが」
と返答すると奥からもう一人の店員が出てきて
「お一人様?今日はもう材料終わっちゃったんですよ。7時で材料終わっちゃって」
そう言われたらどうしようもない。店を後にした。
だが、この時点で10時前。つまり3時間ほど前に既に材料が無くなったということだ。因みにこの店の営業時間は23時30分まで。当然扉には「営業中」のプレート。

材料が無くなったのはいいとして、7時に入った客が僕がいくちょっと前までいたんだろうか?流石にちょっと疑わしく思えてしまった。
まず、本当に材料が無いなら最初にいらっしゃいませを言った店員が説明するような気がする。そして「一人客」を確認した後に断られたこと。材料が無きゃ何人だって関係ないような気がするんだが。
もし4人くらいで行っていたら出たのかなぁ…

ただ、街に人が多かったのも事実。他の店では満員のところも何件かあった。だとすれば売り切れたのもわからなくはない。
そう、わからなくもないのよ。3時間前と言われなければね。

2011年7月28日木曜日

「さよならの夏 ~コクリコ坂から~」の歌詞が気になる

先日手嶌葵のコンサートに初めて行って、最初とアンコールで2回「さよならの夏 ~コクリコ坂から~」を聴いてきた。
僕はこの歌はいいと思う。が…
実はこの歌にどうしようもなく気になる部分が2ヶ所ある。

1つ目。
この歌、元は森山良子や倍賞千恵子が歌っていたオリジナルは2番までしかなかったようだ。手嶌葵がカバーしたときに3番が出来たみたい。でも正しくは2番が出来た。オリジナルの2番は手嶌葵ヴァージョンで3番になっており、手嶌葵ヴァージョンの2番が新たに作られた歌詞。
で、この新ヴァージョンの2番の歌詞の1ヶ所が気になってしょうがない。
それはオリジナルの1番、2番でそれぞれ
「わたしの愛 それはメロディー」
「きのうの愛 それは涙」
となっている場所に入っている歌詞
「わたしの愛 それはダイアリー」
である。その中の「ダイアリー」これはオリジナルの「メロディー」「涙」に対応する言葉である。

言葉そのものをとやかく言うのではない。オリジナルの1番、2番は「メロディ」と「なみだ」を伸ばしている。共に3文字だ。だが「ダイアリー」は4文字で伸ばしている。
これが聴いていて綺麗にハマっているように感じられない…というよりハマっていないように感じられ違和感がある。もう気になってしょうがない。

因みに同じメロディーに「ルフラン」という言葉が乗っているが、こちらはあまり気にならない。「ン」が伸ばす部分に乗っているからだろう。あと「ダイアリー」は「ダ」の音が強く、且つこの歌では「ダイ」を1音に乗せていることが、僕にとって気になるひっかかる。
当然「ダイアリー」の歌詞を「日記」に変えた上で伸ばされるのは論外。それよりは…まぁマシだが…どうにかならなかったのか?
これは映画を見たら解消される違和感なのだろうか?

そして2つ目。
この歌、最後の歌詞が
「あなたはわたしを 抱くかしら」
なのだが、これが手嶌葵という歌手の歌い方と合っていない。飽くまでも詞として、「抱きしめる」ならまだわかるのだが(因みに「抱きしめる」じゃあ曲に乗らない)、「抱く」はどう考えてもアレでしょ。うぅん…
これも映画を見たら解消される違和感かもしれないけど、映画も高校生が主人公なんだよね?
今時高校生で肉体関係を持つのは普通かもしれない。だが、映画の舞台は確か60年代後半。そこまで進んでないでしょ?しかも初恋っぽい感じのはず。速攻で抱く?
何より今の手嶌葵の声、歌い方と濡れ場が合わない気がして。
※これは僕が手嶌葵好きなことが多分に影響しているかもしれない。それは否定しない

歌自体は素晴らしいと思う。だが、この2点が気になってしまい、未だ違和感が拭いきれない。これを払拭するには10年以上ぶりに映画館へ行くしかないのか?

余談だが、何度も聴いて歌詞を見たりしているうちに2つ目の違和感を持った

「あなたはわたしを 抱くかしら」
の部分。ここって
「あなたはお金を 貸すかしら」
でも乗るよね。なんて気付いてしまった。

折しも朝出勤時電車の中吊りに消費者金融大手「アイフル」の広告を久しぶりに見つけ、
「この替え歌CMに使えんかね?」
とか思ったが、そもそも歌い手が許可するような気がしない。



The Rising Suns

有線か何かでかかっていた曲。その曲自体に大して心惹かれるものはなかったが、フィルインのドラムの音。
「どっかで聞いたことある」

こうなるともう気になってしょうがない。色々記憶を引っかき回し、思い出せなくなった脳みそに鞭打ち、ようやく
「あ、石野卓球のライジングサン!」
脳内でヴォコーダーヴォイスの
「The rising suns」
が響いて、先のドラムが同じ音だったことを確認。いやはやスッキリ。

だが、 この後、確認のため、ウォークマンから曲を探すも見つからず。家に帰りリッピングしてある曲を見ても見つからず。
しかしネットで検索するとやはり石野卓球は「The Rising Suns」という曲を出している。Amazonで調べるとシングルで出てるし、アルバムにも収録されている。が、そのシングル、アルバムとも持っていないようだ。

石野卓球、電気グルーヴも好きだし、共にCDは何枚も持っている。だが、この曲が入っているCDは持っていない。

じゃあぼくはどこで聴いたんだろう?
今度はそれが気になってしょうがないのに、今度は記憶を引っかき回しても答が出てこない。

ソーダを入れればいい

以前

ボウモアとベビースター

で、SECRET STILLSのボウモアとベビースターが全然合わないようなことを書いてしまった(それ自体は未だ間違っていないと思う)が、ストレートだと確かにそう。だが、ソーダで割っちゃえば、これがまぁベビースターの威信が復活。合う合う。

結局最近わかったこと。
ハイボールって最強の飲み方かもしれない

汗が出る出る

もしかしたら朝インプリンティング?サブリミナル?精神汚染?されてたのかもしれない。

夜、松戸まで戻ってきたところでラーメン食べてたら汗が止まらない。首から顔から出る汗がテーブルや床にボトボト落ちてる。多分ラーメンの器にも入っていたんじゃないかと。まぁ自分で食べるのだからいいけど。
今までこんなことなかった。今週夜にラーメンを食べるのは三度目。何故今日に限って?

振り返るにこの数時間前、体を使って汗をかいていた。
時々汗が出ることはあるが、まぁボトボトと。首の後ろの髪の毛びっしょりってくらい。多分脂肪が燃焼されていたんだろう。
でも、この直後だったらまだわかるが、数時間経っている。幾ら何でもそれが影響したとは思えない。

で、冒頭の1行に戻る。
朝、テレビで最近多汗症の人が増えているというニュースをやっていた(まぁ内容は腋汗だが)。その原因が精神的なもの。
もしかしたら、その番組を見たせいで汗をかくようになったのかもしれない。
だとすると今後ずっと?それは困るなぁ

2011年7月27日水曜日

下が無い

仕事で遅くなるなら家に帰らないというのも一つの選択肢。
そんな訳でこのエントリは新宿のカプセルホテルで書いている。

カプセルホテルやらサウナってのは大抵ロッカーにフリーサイズの着替えが入っている。
二枚の着替えの一枚を取る。上。着てみる。もう一枚も取る。上。
ロッカーの中を確認する。後はタオルしかない。下はタオルを巻いておけということか?否。

事情を話したら従業員さんは謝り乍ら、しかし笑い乍らズボンをくれた。
初めての体験。

2011年7月26日火曜日

スパイダーウーマン

仕事が遅くなり、23時過ぎの山手線。新宿から乗ると化粧をしているお姉ちゃんが。

朝の電車で化粧をしている人は見るけど、こんな時間にしている人を、しかも結構しっかりしている。僕が見たときにはまつげを伸ばしていた。
23時にめかし込む理由って何だろう?
そんな時間から彼氏と会う?無くはないだろうけど…
出勤?それも無くはないだろうけど…下りたの巣鴨
デリバリー?それも無くはないだろうけど…下りたの巣鴨

まぁ、彼女の事情はよくわからないけど、ちょっと気になったことが他に。
先に書いたとおりまつげを伸ばしていた。完成されたまつげは1cm近くなっていたんじゃなかろうか?
まつげの上に爪楊枝どころか鉛筆が乗りそうだった。

おっさんだからかもしれない。否、おっさんだからだろう。わからないのだ。あんな長いまつげをどう見ると可愛く思えるんだろう?僕には蜘蛛の足、ゲジゲジ、そんな風にしか思えない。

あと、なんかパウダー的なもので伸ばしたまつげって後頭部「ガンッ」ってやったら「ボロッ」って落ちたりしないんだろうか?


他人の趣味を否定しても仕方が無い。というより、そういうメイクをしている子が沢山いるんだから、世間的にはそうした方が可愛く見えるというコンセンサスが取れているはずだ。
しかしながら、コンセプトが未だわからない。
流行なんてのは大概そうだが、「今年はこれが流行ります」「今はこれが流行です」っていう説明の前に、何故それがお洒落なのか、どこがカワイイのか、きちんと説明してくれないとおっさんは頭に「?」をいっぱい生むことになる。

歳を感じるお年頃

20代の頃に比べれば、体力は劣った。そんなことはわかっているつもり。でも20代の頃に比べれば、知識も経験も積んだ。体力任せでなくても、それでなんとかその頃並にこなせると思っていた。

ところが、知識や経験を積むっていうのは、基本的にメリットを生むはずなんだけど、そうじゃないときもある。
「えいや」
ってやっちゃった方が迷いが無い。
なまじっか知識があると同じことに対する解法をいくつも持つわけで、それは迷いを生む。まぁその場面に応じて適切な知識を使うことが経験なんだろうが…

しかしいつまで経ってもアタマは20代の頃と変わらないつもりでいる。
「大丈夫、こんなの1日でできるさ」
そう思っちゃう。そう、20代の頃に出来たのは、体力に任せて「えいや」ってやれたからだ。知識が増えても、経験が増えても、それを生かす気力が遙かに衰えちゃどうしようもない。

気付いてるはずなんだけど、まだそれを認めることが出来ないほど年齢に逆らう精神力はあるらしい。
いやぁ、身体に現れてるんだけどねぇ…

きっと10年後も20年後も、同じように「40代の頃は」なんて思って年齢に対する反抗期を続けていくんだろう。
だから過去を見ずに未来を見て
「大丈夫、50代の自分よりはマシなはず」
と思った方が建設的だろう。

因みに僕の知ってる団塊世代って僕より元気のある印象が強い。

2011年7月25日月曜日

Limited Edition Old Rip Van Winkle 23



今更感漂う逸品。先週名古屋に帰った時に飲んだ酒。

現行品(?)のバーボンではかなり美味い。出たのは2年前くらいみたいだが、日本に入ったのは恐らく去年くらいだろう。
度数を感じさせない飲み口。バーボンらしいしっかりとした濃い味わい。普段ヴァンウィンクルを余り飲まない僕もほっこりする。
そう、現行品(?)のバーボンではトップランクに美味い酒だ。名古屋の酒関係の知人(バーボンに造詣が深い)曰く「去年飲んだ現行物では一番」という言葉も納得。
唯一の欠点は値段か。
この酒、東京では見たことが無いが、出してる店があっても諭吉が飛ぶだろうなぁ…名古屋万歳。

これくらいの酒になると箱も瓶もしっかりしてる。この箱、オマケ、思い出すのはピアレスのボウモアかはたまたキンクレイスか…ってその二つはクリスタルボトルじゃないな。少なくとも僕が飲んだのは。
※そういえば先日あるバーでも珍しい酒の話をしてたら「そんなのキンクレイスとかですね」みたいな事を言われた。話の流れは覚えていないが

最近思うんだが、酒のコメントを文章で書くより飲んでる時の自分の顔の写真でも出した方が余程美味さが伝わる気がする…
# しないけどね

ついでの余談
僕は酒を差別するつもりは無いのでバーボンだろうがモルトだろうが美味ければいい。勿論ワイン、日本酒、焼酎などなど。そしてTPOに分けて酒も飲み方も変えればいいと思う。
# まぁにごり酒とか白酒とか甘酒とか米が残ってる日本酒とかは苦手だけど
「酒は何でも好き」
って人にはちょくちょく会う。
だが、
「酒は何でも好き、でもxxに関してはより好きだから色々飲むよ」
って人には中々出会えない。
無節操だからモルト専門店で
「元々バーボンが好きで」
と言ったり、逆にバーボン専門店で
「山崎は素晴らしい」
なんて平気で言っちゃう僕はKY

採点

※この話。5点満点想定です。

Amazon、価格.com、食べログなど点数を付けるところは多い。実生活でも「何点」なんて会話は時々出てくる。

さて、この点数。個人個人が口に出す。つまり個人ごとの点数基準なのに誰かが「3点」と言えば「あ、それなら悪くないんじゃない?」と会話が成り立つ。味覚は言うに及ばず、恐らくどれもコンセンサスの取れている評価基準など無いのに。

まず、小数が出ない点数付けにおいて、3でも3.3でも3である。それはいいんだけど、1と2の幅と3と4の幅は同じか?実は違うんじゃないのか?

実際僕が何かしら点数付けする場合は3の幅がかなり広いというか3が多くてそれ以外が少ない。1や5なんて極々稀。こういう人は多いんじゃないだろうか?

これは何故だろう?と思ったら、僕は点数を3基準に付けるから。
「まぁこんなもんなんじゃない?」
と思えば3。そして、その枠が広い。何か秀でた感じがあれば4。もう頂点だと思えば5。しかし5なんて想像できない。
要するに絶対的な点数基準を持っているか、それとも相対的な点数基準を持っているか。僕は後者ということね。

ある分野において非常に知識、経験が豊富な人ならば絶対的な基準で点数を付ける事ができるだろう。そういう人ならきっと先に書いた点数の幅は均一なんじゃないか?と思う。
しかし、それが不足しているから、少ない経験によって得られた母集団の中で「これならだいたいこんなもの」があり、それが中心。そこから良し悪しで点が決まる。そして自分の知識が少ないから「世の中にはもっと良いものがあるはず。だから5じゃないね」という…これも知識の無さの裏返し。

そもそも感覚は人それぞれ違うし、誰かにとっての4が別の人にとっての3ないしは2ということは往々にしてある。
何かについてAさんが3点と評価しBさんが4点と評価したとする。その場合、Aさんからすれば「貴方は4点ですか、私は3点だと思います。」Bさんからすれば逆になるだけ。
そのときにAさんは「こいつはもっと良いものを知らない」、Bさんは「こいつ物の良さの何たるかがわかっていない」と思えばお互いに「自分の方が知識がある」と思うだろうし、逆の判断もありえるだろう。

ってことは点数付けの理由が無きゃ点数を鵜呑みに出来ない。せめてその人がその分野においてどれほどの知識や経験をもっているかがわからないと。
そうやって考え始めると「他人の点数見てもなぁ」と思えてきてしまう。反面、点数が高いものは気になるのだが。

さて、5点満点を100点満点で点数付けしたらどうなるか?
もし5点満点の各点数の幅が同じなら100点満点に換算した時、1点は1~20、2点は21~40、3点は41~60、2点は61~80、2点は81~100。
自分が5点満点で点数を付けた時「3」としたものを100点満点で言うと61点以上になるものは多いような気がする。僕の場合。多分100点満点で70点と思うものは3と言っちゃう。

食べ残しは勿体無い

国、地域によってはむしろ少し残す方が礼儀正しいところもあるなんて聞いた事もあるけど、日本においては、食べ残すのは勿体無いという意見の方が多いだろう。
僕はその意見に対して異論は無い。

異論は無い。

が、

食べきれぬほどの量を出されて、無理してでも食えってのは違うんじゃないかと。

お店で頼んだら予想以上の量だった時、食べ過ぎて気持ち悪くなるくらい食べた方が良いのだろうか?
況や食べ過ぎて吐くことに意味があるのか?残すくらいなら一旦体に取り込み吐いた方がいいのか?違うんじゃないかと。僕らは相撲部屋の弟子じゃない。


学生の頃とか若い頃、先輩と食べ放題なんかに行くと、無茶苦茶注文されて、
「俺が頼んだんだから食え」
なんていじめられた人はいるんじゃないかと思う。この歳になると本当に下らないことだよなぁと思う。
# それが若さだよねってのもわかる
因みに酒飲みとして
「俺の酒が飲めんのか」
は大嫌い。


無理してまで食べる必要はない。食べたい量を頼んで(作って)食べればいい。腹八分目と言うじゃないか。
「出された分は食べなさい」
じゃなくて、
「食べられる量、食べたい量を注文しなさい」
が先じゃないのか?
僕は後者の指摘よりも前者の指摘を聞く機会の方が多かった。

ところで、
「いただきます」
というのは食事をする、食物を摂取すると言う事は他の動物の命を殺めた上の行為だから「命をいただきます」ってことよね。
であるならば植物よりも動物の方に食材の大切さを感じるんじゃないか?と思うんだけど、何故か食卓で一番大切にしなければならない食材は「米」。「米はお百姓さんが八十八の苦労をした」なんて子供の頃言われたけど、他の植物だって農家の人たちは作るための苦労をしているはずだ。当然牛や豚を飼ってる人達も。これは主食が米だから、米を特別視してるんだろうな。
であるなら、日本酒を残す人だって同じ。そして飲めない人に無理に酒を注ぐ奴は米農家の苦労を無駄にしている大罪を犯している訳だ。

アナログ放送の最後

僕は見ることが出来ないけれど、世界初のブラウン管テレビに映し出されたのはイロハの「イ」だったらしい。

であるならば、最後に「ス」を表示するくらいの茶目っ気のあるテレビ局の1つくらいあってもよさそうなものだが、どうだったのだろう?

2011年7月22日金曜日

久しぶりの六本木の夜

コンサートの後、六本木から西麻布あたりをウロウロ。

いやぁ、東京で初めてドラマの撮影観た。それもね、夜道で男優が女優を後ろから捕まえて後ろから抱きしめるシーン…本当、こんなトレンディードラマみたいな出来事があったカップルなんて世の中に何組くらい、否、世間のどれくらいの人がこんなシチュエーションを己のリアル人生で行ったことがあるのよ?一桁パーセントでしょ?

カラオケ屋の前を通るとボブサップみたいな人がいてその周囲に人が集まっていた。嗚呼通りにくい。「本物かなぁ?まさかなぁ?」と悩んでいたが、その後に行ったバーで「ボブサップらしい人を見た」と言ったら、「そういう話はよく聞きます。」との返答。どうやら2m位あって体格の良い坊主の黒人を見ると皆ボブサップだと思い込むようだ。コリー犬を見ると「ラッシー」と呼んでしまう現象に似ている。

上記もそうだが、相変わらず外国人が多い。前を歩いているおっちゃん(日本人)が酔っ払いでふらっふらになってて、よろけた時に財布かなにかを落とす。僕はそれを拾ってあげたけど、僕が拾う前に向かいから歩いてきていたインド人らしき人がそのおっちゃんに
「落としましたよ」
と親切に教えてあげていた。どうやらこの辺りの外国人は心に余裕があるみたいだ。

一件だけ寄ったバー。既に山崎の50は売り切れていたが、
「今はああいうお酒あるの?ゴールドボウモア?」
と聞いたら
「丁度今これが開いてるんですよ」
と出された酒はマッカランの50年。
この酒50という表記はあるが蒸留が1928年、瓶詰めが1983年と記載されている。つまり55年。更にウィスキーなのに38.6度。凄い。当然値段も凄い。山崎50年を余裕で超えていた。
「飲みますか?」
と聞かれたが丁寧にお断り。

手嶌葵コンサート@ニコファーレ

ようやく念願叶って生で手嶌葵。
ステージ上の楽器はピアノのみ。ピアノ武部聡志、歌手嶌葵の二人構成のコンサート。

映画「コクリコ坂から」のイベントなので、披露された歌は全部映画関係。しかし10曲くらいは歌ってくれた。

生歌の感想は良くも悪くもCDのまんまって感じ。CDに収録されている状態というのはある意味ベストクオリティなので、ライヴでそれに遜色ない歌声を聴かせてくれるってのはかなりのものだと思う。
が、先週SING LIKE TALKINGを見たせいか、それに比べるとライヴならではの即興性を感じられない(というか僕が行くのがそんなのばっかだからそう感じるのだろう)。これも又贅沢な不満だとわかっている。じゃあライヴならではのアレンジにして、それが自分の趣味に合わなきゃ「CDの方がいい。CDの通りの歌(演奏)が良かった」って文句を言うだろうし。

兎に角生で手嶌葵の歌を聴けたこと自体は大満足。来月の横浜も既にチケット購入済なので、そちらも楽しみだ。

雑感。
手嶌葵本人:
背が高い。Wikipediaで調べたら174cmだって。僕より高い。雰囲気は想像通り質素。ネイルアートもしてなかったし(というかマニキュア自体していないのか?)服装も派手じゃない。靴は白いパンプスっぽいの。「裸足で歌ってたらちょっと凹むな~」とか思ってたから一安心。拙い(失礼)MCもイメージに合ってる。あの声で、ああいった歌を歌ってる人が饒舌だとそれはそれで意外性の面白さはあるけど、一気にフォーク歌手っぽくなってしまう。

ニコファーレ:
非常に面白い。客席をぐるっと囲んで360°壁がLEDスクリーンになっている。派手な動きの映像だと酔ってしまいそう。今後この設備で3D映像流したらより面白い表現が出来るだろうな~(3D映像を流せるかどうかは知らない。液晶シャッターは無理でも赤青メガネ方式なら出来るだろう)。
因みにLEDの性質上「黒」は出せない。だから壁が黒(濃いグレーと言った方が適切か)で、そこに多量のLEDが埋め込まれている。その構造上黒が多いと壁が見えてしまう。微量でもLEDが光っているなら気にならないが、LEDが消灯している領域が広いと壁が見えて興醒め。あと、左右の壁面の下半分は透明なシートが備えられていたが、そのシートに近くの映像が映り込んでしまうし、光も反射してしまう。あれは無くして欲しいかな。

そういえば手嶌葵は譜面台に歌詞を置いて歌っていたが、客は奏者、歌手を見るから背面なんて殆ど見ない。そして歌手の正面には客の背面の壁。どうせなら背面の壁に歌詞を映せばいいのにね。

スクリーンの使い方としては、時折ニコ動のコメントを正面に流していたけど、あれを正面以外の壁にも出せば客も演奏者もそのコメントを見ることが出来、生中継を観ている人と感動を共有出来る。するとその場にいる人といない人の間に一体感が生まれて既存のライヴハウスで味わえない楽しみも今後産まれそう。

惜しむらくは音響面。僕は好みの音とは言えなかった。時々音割れをしていたのもそうだが、ピアノが下、ヴォーカルは上から聞こえているような感じで、ちょっと違和感。音質自体も…ちょっと好みと違うかな。

結構ダメ出しみたいなことも書いちゃったけど、楽しめたかどうかと言えば十分満足できるくらい楽しめた。途中、演奏者及びプロデューサー(?)と宮崎吾郎監督の4人でお話もあったりして、そこも楽しめたし。
# 客席にジブリな人が他にもいたみたいだ。鈴木敏夫らしき人は確認できたが、流石に宮崎駿はいなかった。

コンサートで歌われた歌の多くが映画コクリコ坂よりで使われているらしい。それを聞くと映画を観ようかという気になってしまう。悩ましい。

2011年7月20日水曜日

山崎18×グレングラント22

今家で開封しているウィスキーは4本。そのうちの2本である山崎の18年とダンカンテーラー・ピアレスコレクション・グレングラント22年(12.1987/03.2010 Cask No. 44648)を混ぜると美味い。

昨日、グラントを飲んだ後、面倒くさかったのでグラスを洗わずにそこへ山崎を注いで飲んでみたらフィニッシュがいつも以上に甘く伸びた。お互いシェリー樽の個性が強いから相性が良かったのだろう。

今日、両方をハイボールで飲んでみて、山崎は想定内だったけど、カスクストレングスのグラントがまさかこんなに美味いとは意外。
その流れで調子に乗って2つを混ぜてストレートで飲んでみた。

これ美味ぇ…僕にとっては両方とも同じ路線で好きな酒。シナジーって言うの?WinWinって言うの?どちらの言葉も反吐が出るほど嫌いだけど、その言葉を敢えて使って表現したくなるほど、混ぜた後の馴染みがいい。

嗚呼、酒の愉しみを新たに一つ知ったというか増やした気分。
美味い。

友人が店を始める

3連休に名古屋へ帰った主目的。
「8月12日に店をオープンするからそれ前に来てくれると嬉しい」

その前の週にも名古屋へ帰っていた僕からすると2週連続ってのはちょっとキツいものもあるけど、このタイミングを逃すと落ち着いて話せるタイミングが次はいつになるかわからないから。
# まぁ名古屋に帰って車の免許取り直して車買えば全て解決だが

しかしまぁその友人が常光寺なんてド田舎に引っ越しやがったもんだから行くのもちょっと面倒くさい。それでもまぁ友情っていうんですか?こういうときにそういうの見せとかないといかんわけですわね。

開店前の店を見せてもらうと店内は田舎とは思えないほど綺麗な造り。ありていな言い方をするとお洒落?開く店はギターショップ。ここの壁に50本ほどのギターが並ぶのか。結構カッコイイんじゃない?

今時の店だから、ギターショップなのに、ギターなんて不良のやる楽器なのに、喫煙ルームが作ってある。
今時の店だから、田舎なのに、下水無いのに、浄化槽なのに、ウォシュレットがある。

さて、店のことはともかく。折角友人が3人集まったわけである。全員四十路。いい加減社会に馴染んだ方がいい。が、店をやる奴を含めサラリーマン0とかね。因みにここにあと一人二人増えたところでサラリーマンはいない。腐ってる。

いつも通りの下らん話。45歳の毎日牛肉煮込んでるおっさんが会話のイニシアチブを取る。
ギターの店を開いた友人は一昨年家を買い、昨年結婚し、今年は遂に自分の店を持ち一国一城の主。それに引き換えこっち二人は未だ独身非正規雇用。
僕はそれでもいいと思っているのだが45のおっさんが病んでる。
(パチンコ中森明菜にハマっているらしいのだが)「チビ菜(そのパチンコに出てくるキャラクタ)の画像が全部集まってない。それを集めるのが今の生きがいだ。もう台を買おうと思う。」
とか言い出したり
「もう死にたい。その襖の上にロープを通してこっち側で俺が首にかけるから向こう側でちんが首にロープをかけろ。そしてお互い倒れこもう。」
僕はこのおっさんと心中するつもりなど全く無い。
ギター屋の友人の嫁が
「ナナフシがいたんですよ」
と言えば
「ナナフシが体を這うと死ぬらしい。ナナフシを俺の足先に置いてくれ。そいつが頭まで来れば俺は死ねる。」
とか言う始末。
あぁ…僕も5年後はこうかも知れぬ。取り敢えずおっさんには
「賢いからダメなんですよ。頭いいからダメなんです。適当にアホなら変に考えずに普通に就職して普通に生活できてたんですよ。」
とだけ忠告しておいた。リフレクション。

そういえば何故中森明菜にハマってるのかを聞いたら
「1度の失恋を未だに引きずって不幸が続いているのがいい。そんな奴他にいない。」
ああ、なるほど。落ち目になった歌手、アイドルはいるけど、そんなのは明菜くらいしかいない。強いて言えば他は華原朋美くらいか。
しかし、他人の不幸を己が生きる糧にするような屑はダメだ。

まぁ、とは言えね、久しぶりに腹から笑うっていうかバカ笑いが沢山出来た。

より一層真剣に名古屋へ戻ることを考えずにはいられない時間だった。

もうさ、仕事よりも金よりも面白いってことが何よりも大切。笑ってる間は現実見なくていいもん。

そういえばね、僕とその45のおっさんが
「出来るだけ早く死のう。10年くらいで死のう。」(この台詞は主に僕だが)
と言っていたら、ギター屋の嫁が
「いや、もっと長生きして下さい」
と言ってくれた。そう言ってくれる人がいることは嬉しい。
でもね、資源を浪費するだけのダメなおっさんは苦しまずに逝けるなら早目にそれを済ましたいと思うのも偽らざる事実。

取り敢えず「あと30年生きる」為の理由、それだけの為に事業を起こすこと也を真剣に考えんといかんのかもしれん。

2011年7月19日火曜日

変わる尾張

日曜日、友人の車で何時間も愛知県内、尾張地区を徘徊。

西春で友人と合流してから豊山、春日井、尾張旭、瀬戸などをぐるぐる。

走り回っていて気付いたのは「スシロー」なる回転寿司と「丸亀製麺」なるうどん屋が何軒も出来ていたこと。
どうやら「スシロー」は100円寿司の中ではかなり美味いらしく、尾張旭(守山区かな?)ではスシロー渋滞が出来ていた。他の店舗でも駐車場に警備員が立っていて満車状態。

地域的には春日井市の変化が大きかったように思う。19号線沿いは大分変わっていたんじゃないだろうか。反対に瀬戸は大して変わってなかった気が…まぁ月曜日に道の駅が出来たことを知ったが。

気がつけば名古屋を出てもうすぐ4年。そりゃ変わるよなぁ。
小牧に熟女キャバクラ出来てたし。小牧の熟女て…夕方1セット2800円。ラストでも4800円て…DangerなFlavorがプンプンするじゃん。

折角尾張をウロウロしてたんだから懐かしいものを食べたい。そんな僕のリクエストで、夕飯は小牧の中華料理店ニーヨンへ。まぁ師勝の店舗が入れないから小牧まで移動したんだが。

久しぶりに昔よく食べていた麻婆飯と唐揚げを注文。変わっていない。美味い。ほっとする。
一緒に行った友人とは今から20年ほど前によく行ってたんだよなぁ。ノスタルジーを感じる夕食だった。

Duncan Taylor Peerless Bowmore 35yo

ウィスキーはバーボン一辺倒でモルトは飲まないと決めていた僕がモルトも飲むようになったきっかけの酒の1つ。当時これとPeerless Glen Grant 33yo、そしてKingsburyのアイラウィスキー(銘柄失念!)を飲んでモルトも飲むようになった。
60年代ピアレスはこれ以外にも出ているし、僕自身35/37/38/40/41は飲んだ。確かにどれも美味い。単に味だけで言えばより長熟なものの方が美味いと言われても納得する。
が、これを飲んだときのインパクトを超えるものは無い。


こういう酒はいつまでも飲むことが出来ない。恐らく僕も飲めたとしてあと数杯程度だろう。

新品を持っている店も知っているが、ボトル売りで10万超。当時1杯2,000円代で飲めた酒にそれだけの金を出す気にはなれない。少なくとも今の僕には。

それは兎も角、

「モルトってこんなに美味しいんだ。」
そう思わせてくれたこの銘柄は自分の中で特別なものになっている。

そういうインパクトを与えてくれた酒を久しぶりに飲んでみると、当時ほどインパクトを受けなくなることも多いが、この酒は当時そう思ったことを十分納得させてくれる味わいだった。

フルーツ香、柔らかな口当たり、伸びる上品な甘さ。今回も至福の時を与えてくれた。

僕の中でダンカンテーラー・ピアレスコレクションの評価が妙に高いのはこういう酒を飲んだからだと思う。

2011年7月16日土曜日

どう考えても座席配置おかしい

現在新幹線。

乗車率2割程度の車両。どんだけ多く見ても3割。絶対に半分も乗ってない。

乗車の20分ほど前、予約するときに前後2座席くらいは空いているのを確認して座席指定した。
東京駅で乗ったときに2つ前に家族が乗った。向かい合わせで座っている。小さい子がいたので騒ぐのが心配だったがよく躾されている。静かなものだ。良い両親なのだろう。

新横浜、その家族と僕の間の座席に人が座った。
その人がガラっガラの車両でわざわざ前後に人がいる座席を取るものだろうか?ちょっと考えにくい。
恐らく駅で「窓際」とか指定したんだろう。
あくまでも、その人が自分で指定したわけじゃなく、駅員が取ったとするならば…

なんでこの場所なんじゃ

他のお客さんは前後に他の客がいる場所などに座っていない。「名古屋や京都や大阪から家族連れが乗るかもしれない?」ああ、その可能性はあるだろう。この新幹線は姫路行だけどな!

また今日もずーっと心の中で
「ありえへん、ありえへん、ありえへん…」
と呟いている。
座席変えてもらえばいいだけなんだが…

SING LIKE TALKING コンサート@中野サンプラザ

4月にあったコンサートの振り替え(?)コンサート。
ちんぶろぐ: SING LIKE TALKING コンサート

4月のコンサートが震災復興支援ということで急遽内容が変わってしまったために、改めて行われた。

しかし7月にやるということは5月ごろに知っていたのにチケットを買うことをコロっと忘れていたので、チケットを購入したのは1週間ほど前。危ない危ない。

予定外だったためか、編成は小ぶり。アコースティックと銘打たれていた通り、3人以外はキーボードとパーカッションだけ。佐藤竹善は曲によりキーボードかギター、藤田千章は曲によりキーボードもしくはドラム。

曲目は5月に発売された新譜からのものが5曲くらい(?)他は古い曲。それもEncounterくらいまでの曲が多かった。うん。嬉しい。新譜以外の割と最近(?)の曲はSeasons Of Changeと魔力くらいか?

ボサノバ調の「離れずに暖めて」。MCによると実は当初こういったアレンジで出そうとしたが、当時の流行に合わないということで、CDリリースされたアレンジになったとか。当然初めてボサアレンジを聴いたけど、これは出して欲しいなぁ…ってか今回のライブDVDが出ればそれでも。

他にも「心のEver Green」とか「11月の記憶」とか「初期の頃がよかったよね~」と思っている僕なんかからすると嬉しい内容だった。
# 相変わらず「Restless」はやるんだなぁ

非常に満足できる2時間強だった。
次に見られるのは情熱大陸ライヴか。

ふしぎなキリスト教

最近読んだ本。



結構過激、面白い表現をしているところもあり、読み物として面白い。

ただし、Amazonの書評を見ると1をつけている人も結構いる。その人たちの批判点は著者(というか対談している人の)キリスト教の歴史認識の甘さ。そういうことを言われていることを念頭において読まないとこの本に書かれていることが全て正しいと思い込んじゃう。ちゃんと勉強したいと思うなら他にもキリスト教の本を読まないとダメだろう(それなら聖書読めよって気もするが)。

元々宗教には興味が無いし、自分が宗教をやる気が無いというかやったら何となく自分の力で生きてる気がしなくなるっていうか…まぁそんな感じで宗教関係の知識は全然無い。
では何故この本を手にしたのか?それは、なぜ人は宗教をやるのか?といったことには興味があるから。

もし神がいるならね、自分の人生、例えば今僕がこの文章を書いている、キーを打つタイミング、それが何μ秒なんて時間以上に厳密に神の決めた運命通りだとしたら?自分の頭で考えてるように思ってるけど、それすら全て神に決められたものだとしたら?そう考えたら途端に人生がつまらなくなりそうだ(と考えるのも神が決めていたこと)。

では逆に人生を思い通りに生きていたとしよう。しかし死後、生き方によって天国か地獄に行くことになるとしたら?神の力があるなら地獄に行くような因子を何故人間に入れたのって思う。人間の妬みや恨みといった負の感情、争いが起きるようなことを最初からなくしておけばいいのに。

そもそもね、世界中に神がいすぎるのが不思議。本当にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神がいるなら、その神が世界を作ったのなら、世界各地に別の神がいるのはおかしいじゃない。各宗教をやっている人はそういうことを疑問に思わないのだろうか?と思うわけね。
※ 自分の信ずる神以外は偽者だということかもしれないが、偽者多すぎないか?日本には八百万もいるんだし

で、そんな疑問はずーっと昔から持っているんだけど、今回たまたま本屋でこの本が目に付いたので買ってみたっていう…本当に何気に買っちゃったのね。
そんなわけで、この本を読むまでユダヤ教とキリスト教とイスラム教の神様がいっしょとか、その神様の名前とか知らなかった。アダムとイブとかノアの箱舟とかモーセの十戒とかね、なんとなく話を聞いたことがあっても何教のことだかさっぱり。
まぁその辺の神様ってゼウスじゃないの?とか、その割にはギリシャ神話って天使出ないよね?みたいな。そんな程度の知識(因みにギリシャ神話の知識はアリオンと聖闘士星矢とコロコロポロン)。

それくらい知識が無くて読んでみるとこの本は結構面白い。本の内容としてはユダヤ教からキリスト教ができて、キリスト教がどのような歴史を辿り現代社会に影響しているかという話が主題。それに交えてキリスト教の矛盾点をどう解釈するかといった話も出てくる。

それが正しいかどうかはともかく、著者の持論、表現の仕方は面白い。神は地球を作ったんだから地球外生命体とかね。あと、偶像崇拝を禁止しているわけでもない日本の神道で何故像を作らなかったのかという理由とか。

先に書いたとおり、Amazonの書評によると鵜呑みにしちゃダメなのかもしれない。しかし、面白い本だった。

2011年7月14日木曜日

♪ Turn around Look at what you see ~

仕事中、窓の外を見たら中々幻想的な雲が


中央の雲、犬の顔のように見えないだろうか?
で、
「犬ってのもなんだかな~」
と思っていてふと気付いた。
「あ、ドラゴン。それもネバーエンディングストーリーに出てくるっぽい奴みたい」

社内でカメラを使っちゃいけないんだろうが、これはやはり地上で撮るのは厳しい。悪いとは思いつつも窓の外を向け「パシャッ」。こういうとき窓際族っていいわぁ。

心の中で羽賀研二の歌が響く
「♪よ~せよ~ 強がりは~ お~れのま~えで」

写真だと、特に携帯で撮った写真だからイマイチ迫力に欠けるけど、実際なかなかの迫力だったのよ。

日本語→英語→日本語orz

どうにも更新滞ってる。

今ちょっとバタバタしてて、珍しく忙しい。
こんな時に限って仕事の方も何かとあって、まぁ、ちょっと余裕が無くなってくる。

忙しい理由は本を読んでるからなんだけど、これがまぁ何というか…
小説などなら幾分マシなんだろうが、技術系の翻訳本でしっくりくる文章に出会えることは少ない。
で、なんかわかりにくい日本語を見ては英語の原文を読んでみるわけですな。

んで、調子に乗って自分で訳してみる。すると、驚くことに「わかりにくい」と思った翻訳文以上にわかりにくい文章が出来上がる。プロを甘く見ちゃいかんなぁ…

しかし人生というのは上手く出来ているもので、24日の日曜がTOEIC試験というこのタイミングで英語に触れなきゃならなくなる。
諦めかけていた点数に僅かな希望の光が差し込んだ気がする。本当に気がするだけなんだが。

2011年7月11日月曜日

弾ける

3,4,5月と連続して行っていたせいか2ヶ月ぶりといういつも通りのペースなのにちょっと久しぶりな気がする名古屋。
尤も今回は予定上名古屋の友人と会う時間を作ることが出来なかったので連絡もしていない。

さて、旅の恥はかき捨てなんて言うが、関東に行きたての頃は「まぁ東京で何をやってもどうせ名古屋に帰るし」なんて思って何をしても平気な気がしていた。
そして今、気がつけば3年半も関東に住むと、名古屋に戻ってきたときに「こっちで何をやっても関東に戻るし」ってな気分になっている。

そんな訳か偶然が重なったのか、久しぶりに飲み屋でチンコ出した。
久しぶりに求めていた酔いかたが出来たような気がする。

って酔っててもきっと違法行為だよね…

すいません>関係各位

2011年7月8日金曜日

金は物理的なモノなのか?

ふと疑問に思ったので。

お金は物理的なものなのか?
お金を頭に思い描いたとき、僕は1万円札とかの紙幣が思い浮かぶ。子供の頃なら硬貨だったかもしれない。

貨幣、これは紙幣、硬貨共に間違いなく物理的に存在するものである。目に見えるし触ることができる。
では金は物理的なモノなのか?
そうとも言えない。
「あなたの資産は?」
と問われたら?まぁ資産なんてのは土地や株など金銭的価値のあるものが全て含まれてしまうが、現金に限定して話をする。
それにしても、家や財布に入っている金が全てと考える(or実際そうである)人も少ないのではなかろうか?
銀行口座。多くの人は持っている金の大部分をここに入れているんじゃなかろうか?
では銀行口座に入っている金は物理的なモノかというと違う。
しかし引き出すことによって物理的な貨幣として取り出すことができる。

何かを買うとき、僕は現金支払いが多いけど、それでも以前に比べたら現金を使うことは減った。
代表的なものはクレジットカードだろうけど、最近だと電子マネー。僕はコンビニだと9割以上電子マネーで支払っている。現金を持ち歩く必要は無いしおつりの間違いも無い。支払いも早く終わる。電子マネーを使っていると今後貨幣を利用する場面はどんどん減っていくと思える。
もしコンビニが電子マネーオンリーになったらコンビニ強盗も出ない。いや、まぁ、商品を持ってく輩が出ることは有り得るが…それは万引きか。

さて、携帯の電子マネーで商品を買う場合の僕個人の金の流れはこんな感じ

  1. 給与が銀行口座に入る
  2. 携帯で電子マネーにクレジットカードからチャージ
  3. クレジットカード会社が銀行口座からチャージ金額を引き落とし(実際には4よりもっと後)
  4. コンビニで商品購入。チャージされた金額から代金分引かれる

ここで物理的な貨幣のやりとりは一切行われていない。金額の情報がやりとりされているだけだ。

電子マネーにしてもクレジットカードにしても現金を持ち歩かずに買い物ができる。
このスタイルがメインになれば現金を狙ったオヤジ狩りも無くなる。襲っても現金持ってる人がいないんだから。更に言えば携帯電話支払いがメインになった場合、携帯電話の個人認証でセキュリティをかければ携帯電話を奪っても使えない。なんてことを書きながらふと思った。

さて、買い物での支払いが電子マネーでの支払い、ネット上でのクレジットカードでの支払いばかりになったとき頭に思い描くお金はどんなものになるんだろう?

2011年7月7日木曜日

何年ぶりだろう、又やってしまった。

僕は服をたたむのが苦手である。だから服屋で綺麗にたたんで陳列されている服を広げて見ることが出来ない。そりゃ店員さんが元に戻してくれるのはわかっているが、不器用な客のせいで余計な手を煩わせることを心苦しく思ってしまうのだ。

というわけで、この季節。どう考えたって全部半袖に替わっているだろうこの季節に服を買う。元々流行を追うタイプじゃ無いしね。

で、ぱっと柄とサイズを見てささっと籠に入れお会計する。

家に帰りタグを外そうと思い出してみると…4着中2着長袖。そうか、それでこの2着は2着で1000円引きだったのか…
もういい。数ヶ月待てばいいだけのことだと思うことにしよう。

さて、テレビで服飾評論家が道行く人の服装を評し
「おしゃれ上級者ですね」
なんて言うのをたまに聞くが、初級、中級、上級の区別はどこにあるんだろう?
そもそも
「おしゃれ中級者」
という言葉を聞いた記憶が無い。恐らく初級者も。もしかしたら初級者は聞いたことがあるかもしれないが。
で、どっからが上級者なの?

とりあえず袖の長さも確認しない僕が「おしゃれ初級者以下」だってことは何となくわかる。

2011年7月6日水曜日

水道代を払いに

松戸市では水道代をクレジットカードで落とせないらしい。銀行引き落としの紙をもらったけど、銀行印が見当たらなくて出し忘れそのままになっていた。

どうせ支払いは2ヶ月毎、そうしょっちゅうあるわけじゃないし、コンビニで支払うことが出来る。そんな感じで払込用紙が来てから払うようになっていた。

先日、ポストに入っている払込用紙を取り出し、糊付けされたそれをめくると…勢い余ってミシン目で破いてしまった。ミシン目には
「破らないでください」
の半分が見えている。
「やっちゃった…」
何となくコンビニでもどうにかしてくれそうな気もしたけど、水道局まで払いに行ってきた。

「払込用紙を破ってしまって」
と言って用紙を渡すと職員さんが
「すいません」
と。
「いえ、こちらが破ってしまったのが悪いので」
と返答すると
「いえ、破れやすくなっているので、こういうことがあるんです」
なるほど。納得できるような気もするけど、こちらの落ち度で相手に謝らせるのは気分が悪い。

しかし、一昔前に比べると本当に公務員の態度って改善されていると思う。
そりゃ同じ人を比べてるわけじゃないし、名古屋と松戸という場所も違うけど、以前はこんな人に当ることは無かった。

公務員とはいえ接客(という言葉が適切かどうかは置いといて)はある。ならばちょっとした気遣いで客(?)の印象が変わるし、気分良くなってもらえばトラブルも起きにくい。
どういう意図があるのかはわからないけど、こういった改善は素直に評価すべきだろう。

こういう対応をしてもらえれば税金を払うことにちょっとは抵抗が無くなる…かな。

2011年7月5日火曜日

ちゅどーん

土曜日、吉祥寺までTシャツを買いに行ってきた。イベントは明日までか。

魅惑の「ちゅどーん」Tシャツ。
「ちゅどーん」という擬音はうる星やつらでよく使われていたけど、最初に出たのは田村信のできんボーイ。
行けば田村先生始め江口寿史もいるかもしれない。なんて甘い考えで行っちゃったわけだけど、結局お目当ての田村先生には会えず。
# 会えるなら田村信より江口寿史より江口寿史の嫁(水谷麻里)に会いたいが


実は江口寿史Tシャツも欲しかったのだが、そちらはSOLD OUT! 日曜日の昼に入荷とのことだったが二日連続吉祥寺もちょっと辛い。

この「ちゅどーん」Tシャツも売り切れたらしく、今日行けば手描きの「しり」Tシャツを売っていたらしい。
が、しかし、仕事を抜け出し買いに行く勇気が僕には無かった。

2011年7月4日月曜日

焼肉&カラオケ

池袋で焼肉。店をチョイスしたのは僕。肉質は悪くないけど火力と注文してから品物が出るまでの時間に難あり。同行者の皆さん、ごめんなさい。

その後カラオケ。1時間ならできるかと思い(主に体力的理由)ついて行く。
僕以外は20代。全員男…なのはともかく、最近の若い子ってやっぱ歌上手い。昔ながらの外しっぱなしの素人と出会うためには50代の泥酔親父が管巻いてる店を探すしかないのか。

歌うつもりは無かったけど2曲歌った。

  • 全力少年(スキマスイッチ)
  • Amanogawa(Skoop On Somebody)

いやぁ、久しぶりにカラオケで歌うと気持ちいいけど、やっぱり凹むなぁ…
ダイエットも兼ねてヒトカラに行こうかと思う。

シュールな画

個人的なセンスがものすごく影響するんだけど、僕は以下のような画が見てみたい。

叶恭子がいつも通りの服装もしくはジャージで下町の中華料理屋(主な味付はグルタミン酸ナトリウム)で片手でスポーツ新聞を見ながらもう片方の手でラーメンを食べている。当然足を組んで。
ラーメンの横には餃子。そしてサッポロ瓶ビール。

これだけで十分有り得ない画だし、もし見られるならテレビの企画でもいいからそんな画を作ってほしいものだ。画だけでいい。
そして細かい演出、
「日当3万可、日払い可」

と書かれた三行広告に赤鉛筆で丸が付けてあり、その横に「美香」と書かれている。

こんな画が見られたら面白いと思うんだけどね。