昨日、とある方に
「金あると自由ですよ」
と、軽いジャブを振ってみた。すると、
「金があると何故自由になれるんですか?」
と返された。
これに関して僕の持論は以下のようになる。
金が無いと食いもんもロクに選べない。自由に好きなものが食べられない。これは不自由だ。
好きなものも買えない。行きたい場所に旅行にも行けない。これは不自由だ。
だが、金があれば完全な自由を手に入れられる訳ではない。金では手に入らないものもあるし。
僕の考える「金のある自由」とは、選択肢が増えること。選択できない不自由を減らすことが出来るということ。
その旨はお伝えした。然るに、
「金を得るために人を殴ったとしますよね、それは人の自由を奪って自分の自由を手に入れていることになります。他人を不自由にして自由と言えますか?」
なるほど。確かにそういう面もある。だが、これに関しては、
「金を得る方法は一つではない。人の自由を奪わずに金を得る方法はあるはずだ。」
としか言えない。この文を読んでいる人は
「普通に働けばいいだろう」
と思われるかもしれないが、自分の労働が誰かの職を奪ってその人を不自由にしているかもしれない。そういうツッコミをされたら、僕はそれに対して理路整然と反論を言える自信がない。
因みに、その時にこのような話もした。
多くの人は、金を得るために仕事をする。そして、決まった時間を拘束される。これは不自由だ。とんでもない不自由だ。
金を得た後に得る自由は、自分の不自由の代償として得ている。ともすれば、それは完全な自由ではない。こういう反論が来なかったのは少々不思議だったが、とにかく僕が先に述べた「金がある」自由は、殆どの場合完全な自由ではない。
こんな矛盾を考えていると、完全な自由なんてものはそもそも無いんじゃないか?と思える。
ってか、この手のことを考え始めると、大抵行き着く結論は、
「自由って何?」
ってことよね。
例えば恋愛関係。男女共だが、「お互いの自由を尊重する、相手を不自由にしない」というルールを二人の間に設けたとする。ともすれば、浮気をされても黙ってなきゃいけない。他の相手と何をしていようが、彼氏、彼女(当然夫や妻も)の自由を尊重してあげなきゃいけない。反面、自分も好き勝手出来るわけだ。
尤も、世の中の人達がそんな人付き合いばかり始めたら、恋愛、ひいては結婚など誰もしなくなりそうな気がしないでもないが。
結局、自由とは、特に、特定の事柄に拘らない完全な自由とは何か?はわからない。そして、その自由を得た時、個人が今以上に幸せになれるのか?世の中が今以上に良くなるのか?がわからない。
こんだけ1つの文に何度も「自由」って書かれてると、読んでるだけで「自由って何?」になるよなぁ。
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