2013年11月7日木曜日

「できない理由」と「できる方法」

人と話をしていると、誰かの考えに対して否定から入る人がいる。
「xxxをしようと思うんだけど」
なんてな事に対して
「なんでそんなことするの?」
とか
「そんなことよりもoooの方がいいって」
みたいな。

例えそう思ったとしても、先に一言肯定の言葉を入れれば言われた側の相手の印象も変わるし、その一言を言う「間」が自分の中で次の言葉を言うべきかどうか、どのように言うかを考えさせてくれる。
そもそも、社会に出てから向きあう問題には正解が無いか、正解が複数あるかのどちらかが殆ど。唯一の答のみが真である学生時代のテストじゃない。異なる意見それぞれに良い面悪い面があるものだ。
だから、自分なりの意見があるとしても、
「なるほど、そういう考えがあるんだね。僕にはこういう考えがあるんだけど。」
とか、
「そういうことなら、こういうこともしてみると更にいいと思うよ。」
みたいに返事をするだけで印象は変わると思うんだけどね。



例えば誰かが突拍子もないアイディアを出したとしよう。
「そんなの無理だ」
と否定するより、
「こうしたら出来そうだね」
という意見を出した方が建設的で面白いと思うのだが、そういうものでもないのかな。

大体、友達同士での雑談で出てくるアイディアなんて、その場で消えてしまうようなものだ。だから否定しようが肯定しようが何も産まれはしない。これは99%どころか、そっから先10個くらい9が付く位の確率でそうだと思う。
でも、だからといって話を終わらせる事もないと思う。どれだけ低くても可能性が0%ってわけでもないしね。

根本的に、実際に事が動き出すかどうかは別にして、「できない理由」を考えるより「できる方法を」考えたほうが面白いというのが僕の考えだ。

無論僕もつい否定から入って話をしてしまうことはある。だが、自分なりにできる方法を考えて話し合いをした方が面白いと思うので、なるべくそうするように気を遣っているつもりだ。

ただ、相手がネガティブな事を言っている場合は流石に否定から入ったほうがいいように思えてしまう。まぁ、この場合は、別かな。流石に
「僕なんて死んだほうがいいんだ」
なんて言ってる人に
「そうだね」
とは言えないよなぁ…やっぱり。

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