2011年3月14日月曜日

考えてみると色々大変なんだろうなと

地震後twitterを始めネットを見てると色々な人の考えが見える。

東京電力の輪番停電の計画発表がコロコロ変わることに対して苛立ちを覚えている人も少なくない様だ。確かに自分の地域の停電のスケジュールがわかれば対策もしやすい。明確なスケジュールが欲しいのは皆同じだろう。
だが、果たして東京電力の対応に対して安易に要領が悪いと言えるのだろうか?恐らく電力制御できる地域を分けて、消費電力がなるべく均等に分散されるような地域を選んで停電を行っているんじゃなかろうか?全部の地域が一般家庭なら大体の世帯数で分ければいいんだろうけど、工場やオフィスのある地域と一般家庭のある地域では消費電力量も異なるだろうし、消費の多い時間帯も違う。だから計画が立て辛く、一旦発表したあと指摘や苦情等により訂正なども行なっているんじゃないだろうか?
いや、勿論批判している人はそんなことは当然考えて言っているのが殆どだと思うけど、中には自分の仕事がどうとか、出勤がどうとかそんな個人的な理由で言っている人もいるような気がする。

僕は「自分がいなければ回らない仕事」がある人は有能だと思うけど、「その人がいなければ回らない会社」はダメなんじゃないの?とも思う。そりゃ社長ともなれば別だけど、社員が一人いなくなったら回らなくなるような仕事の受け方をしているのはリスク分散出来てないだけなんじゃないかと。それほど有能な社員はそんな無能な会社で働くべきじゃないとも考えられるんじゃないか?と思う。

今回みたいなことが無くても出社できなくなる可能性なんて(低いとは言え)あるわけで、その時なんとか対処できない様な会社じゃあたかが知れてる。そもそも正当な理由があって出社できない、仕事が出来ないのにそれを咎められるならそんな理不尽な会社や客と付き合う必要があるんだろうか?
有能な人なら、そんなところに努めずにもっと環境のいいところへ行けばいい。

僕は自分が有能とか会社が有能とかじゃなく、基本的にどんなことも
しゃーない
なるようにしかならん
としか考えられないから、現状を受け止めるしか無いと思う。
僕の力では東電にせよその他ライフライン、鉄道などにせよ、なってしまったことに従うしか無い。

そりゃ自分が被害に遭えば頭にくる。それは僕も同じだ。
しかし、どれだけイライラしても、それをわざわざネットで拡散して他の人まで同じ気持ちにさせる必要は無いと思う。
どうしても愚痴りたいなら近しい人にメールするなり飲みながら愚痴るなりすればいい。何百人にイライラを拡散させる必要はないだろう。
東電にせよ他の会社にせよ一生懸命やっているだろう。叩くのは簡単だ。でも、どうせ電気が来なきゃコンピュータも動かない。
そうなれば今の時代金を動かすことも出来ない。商売なんて成り立たない。

心に余裕を持って休める人は潔く休んじゃうのも交通インフラの負荷を減らす社会貢献くらいの気持ちでいてもいいんじゃなかろうか?


そして、復興にはモノが要る。モノを作るためには工場を動かさなきゃならない。そのためには電気がいる。東電は電力供給の優先度でも頭を抱えることになるんじゃなかろうか?
勿論東電の管轄以外の工場でもモノは作れる。が、しかし、通常以上に物資が必要になるのだ。
そして電気が供給できるようになったらモノを作るための材料と出来上がったモノを運ばなきゃならない。鉄道の整備と道路の復旧もまだまだ必要。そしてそれらも優先度という問題が必ず出てくる。
僕ら外の人間が見ている以上に中の人たちは考えなきゃならないことが沢山あるんだろうな。

0 件のコメント:

コメントを投稿