2012年8月4日土曜日

他人と比べない方法

今回酔って勢いで書いてる。乱文失礼。

実はこれがわかったら人類(日本人だけかもしれんが、他所は知らん)の多くが救われるんじゃないか?という疑問。

自分が不幸である、満たされていないという判断はどこから生まれるのか?
そりゃ自分の行動に対して見返りが少ない。例えば仕事に対して給料が少ないからだというのはあるだろう。
しかし、案外その給料の多い少ないの判断基準もいい加減で、同級生より少ないとか同業他社より少ないとかそんなもん。自分のいる会社の売上がどれくらいで社員数がどれだけいてなんて基準じゃない。そんな比べ方に意味があるのか疑問。
人によっては、同業他社より一人あたりの売上が低いのは営業努力、企業努力が足りないからだと言うかもしれない。でも、簡単に新規優良顧客を開拓できるなら苦労はしない。そもそもそんなこと簡単に出来たら劣悪な仕事など誰も取りたがらない。

で、そうやって考えていくと、他人と比べると自分が不幸に思えるようにしたほうが都合がいい。
困ったことに自分より劣悪な人と比べたがる人はいないこともないけど少ない。そして、ここが決定的に違うと思うのだが、ある人と比べて自分のほうが環境的に劣っていると思うとそれは他者に話す。具体的に誰とかではなく、自分は恵まれていないという感覚で話す。だが、自分のほうが良い環境にいる場合比べる相手に話す。
これはどちらも自分の精神の安定を図るためだろう。

人間比較して自分が劣っていると思いたければ相手より劣っている部分だけを見るようになる。逆もまた然り。
だが、どちらにしても、そんな物の見方をしていては幸せじゃないだろう。
原点に立ち返り、今の自分の環境、生きるに困らず多少の満足感も得られる。そこに幸せを感じられないだろうか?というよりもそこに幸せ感じなきゃ年収がどんだけあろうが、どんだけ好きでいられる綺麗なパートナーがいようが比べたら絶対上がいる。もうどうしようもない。

で、他人と比べず「今そこそこ幸せじゃん」って思えるような人って、自分なりにやりたいことが出来た人だと思うのね。フリーになったり会社起こした人でもいいし、趣味で満足できるような結果を残した人でもいいけど。
何か精神的な満足感を得たことがない人、己の身の程を実感したことのない人が、無い物ねだりしているのが他人と比べることの原点のような気がするのね。

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