二日酔い、いや、単に酒に弱くなっただけか。
どうにもウィスキーを飲みに行く気力がない。否、酒を飲む気力か。
そうは言っても取った宿は錦三丁目。繁華街。
恐らくは5年ぶりくらいの店に顔を出す。ホモバー。尤もホモバーといっても僕はこの店で同性愛者の客を見たことがない。
マスターというかママというか、店主には顔を見るなり
「毒が抜けたわね」
と言われた。
ロクに話しもしてないのに、えらく丸くなったと思われたようだ。否、顔も体も丸くなったけどさ、話さなくてもわかるもんなのかね?表情でわかるみたいだが。
店主の話を聞き、「変わってないな~」と思いながら焼酎の水割りを口に運ぶ。
なんだろう?僕よりも年上のこの店主の方が精神的に若いというかとんがっている。僕のほうがオッサンになっているように思えられる…
そうそう、世の中って不思議よね。
この店に限らず、同じ店に来る客なんて同じようなものだろうと思ってしまいがちだけど、明らかに違う人が来る。要は収入がン十倍のレベルで違う人たち。何が違うんだろうね。なまじっか同じ店の客だと思うと接点がありそうだけど、恐らく、無い。
その後、宿に帰る途中で15年ほど前まで通っていた店に寄ってみた。最後に来てから、干支が一周する以上に時間が流れた。店員は勿論変わっている。知っている顔は店員、客共にいない。それどころか、この場の中で僕が最年長だろう。あの頃は違ったのに。
バーというものを知って、最初に通い始めた店。今では有り得ないが、
「いつもの」
の一言が通じた唯一の店。因みにその一言で出てくるのはカシスソーダだったが。
最早記憶も薄れて、壁や天井以外、あの当時とどこが変わってどこが同じかわからなくなっている。しかし、あの当時、この棚に並ぶ酒を見て、「沢山あるな」と思っていたし、ここの酒を飲んで、酒に詳しくなった気がしていた。実に蒼い。
今の僕から見ると、申し訳ないが物足りなさを感じる棚を見て、積み上がった経験を実感する。
そして、女性バーテンのぎこちない包丁使いを見て、それを気にしてしまう自分になっていることにも気付く。
しかし、棚や店員の動きを見てしまう自分の目線が店員さんにどう見られているのか?鬱陶しい客が来たと思われていたら嫌だなぁと思いながら、店に並ぶグラスを見て、「あれはクリスタルだけど、あれはガラスだな」なんて思ってしまう自分。
経験は精神を貧しくすることもある。
2012年5月3日木曜日
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