昨晩ふと思ったことがある。
「何故性別は2つなのか?」
まぁありきたりな疑問でもあるわけだが。性別が1つなら出会いの可能性はほぼ倍に広がる。
地球人口が約60億だとすると、1:30億が1:60億まで広がるわけだ。
※一々60億から1引くような記述はしない。誤差
生物には性別がないものや両性具有もある。人間がそのように進化したとしても良かったのではないかと。
あ、この話は単為発生ではなく、あくまでもパートナーを作る前提です。
そうなるとモテる確率が倍になるのか?否。むしろ下がるかもしれない。あなたをパートナーとするかもしれない人が倍に増えた代わりに、あなたがパートナーとしうる人も倍に増えたのだ。確率が変わることはない。今イケメンや美女でモテている人のところに又人が集まるだけのことだ。そういう人のところにはもしかしたら今の倍、人が集まるかもしれない。
とはいえ、悪いことばかりではない。副次的効果として性差別は無くなる。それに性同一性障害というものは無くなるだろう。なんせ男も女もないのだから。
尤も生物同一性障害は残る。
「私は人間ではない、神だ」
というアレである。これは性別どうこうの問題じゃないから仕方ない。ヒトのカテゴリを増やさないと解消できない問題だ。そういう人たちは霊長類の中の神に属することになるのだろう。そういう人たちだけが住む島を作って隔離するのが望ましい。
さて、疑問の本題はじつはここから先である。
何故性別は2つなのか?3つや5つでも良かったのではないか?(以降3~5を仮定して話を進める)
つまり、3つであれば他の2つの性を持つものと関係を持ち初めて子孫が得られる。5つであれば他の4つである。
種の保存は本能に依るところが大きい。一人を相手にしているだけでは種が絶えてしまう。今よりも倍、あるいは数倍の相手と関係を持たねばならなくなる。そうなれば今よりモテる率は上がるのではないだろうか?なんせ1つの性別を持つ人の率は1/2から1/3~1/5に減る。出会い、いやもっと生臭い話になるが性交渉を行わねばならぬ人数が1.5~2.5倍に上がるわけだ。
こうなると婚姻制度などあったものではない。つまり、婚姻制度が無くなる。国会で議論すべきことが幾つも減るのだ。尤も性差がより増えれば性差別が階層化しカースト制度のようになってしまうかもしれないが。
良いといえるかどうかはわからないが、浮気だの不倫だのということに気を揉む必要はない。誰もが複数の性を相手にせねばならなくなるのだから。
「うぅ~ん、アリかも」
と思いつつも、今以上に性差別やセクシャルハラスメントを言われるようになり、性同一性障害や同性愛が複雑性を増すことを考えると
「2つでいいか」
という考えに帰結する。
2010年9月26日日曜日
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