2014年7月25日金曜日

金に縛られる事なかれ

今の僕の人生の理想は、「金に縛られない」である。そして、理想の社会は「選択肢のある社会」である。

「選択肢のある社会」、否、今もあるんだけど、どういうことかっていうと、例えば僕は技術者ということになっている。技術者であれば、自分の技術を向上させ、それが社会で認められ、満足できる報酬を得られる。そういう生き方もありながら、技術者という仕事を仕事として割り切り、必要以上の向上もせず、得られた報酬でプライベートを楽しむような生き方をする人も認められる。そんな社会が理想。
要するに、人それぞれの生き方が批判されず、自分の信条に納得できなくても「そういうのもあり」と思い、思ってもらいながら皆が生きていける。
そんな社会が望ましい。

そして、自分の理想、「金に縛られない」。要するに、金のことを考えずに生きていられるのが僕の理想。ただ、バカみたいに儲けるとか言うのは違う。結局それは金に縛られている。
例えば、何万円する寿司を食べた次の日に吉野家の牛丼が食べたくなれば牛丼を食べる。そういう生き方が出来るのが理想。実際問題、毎日何万もする食事を食べたいと思うか?と言われたら、僕の場合そうは思わない。予約取るの面倒だし。
毎日、「金がない」と考えるのは勿論金に縛られているし、反面、十分な金を持って「あれも欲しいこれも欲しい」と考えるのも金に縛られている。どちらも嫌だ。

さて、そんな僕だが、昨日ちょっとした仕事の話が合った。そこで提示された金額が、思いの外良く、しかも仕事の話をしてきた相手も信用できる。それなのに、
「お金はいいんです」
と言ってしまった。当然、この話は静かに消えてゆく。

帰りの電車の中で、如何に自分がアホなことをしたのか気付いて、後悔したがIt's too late。
暴れたり、怒鳴ったりといった下品なこと無くヤケ酒を飲みに行ったが、金額を聞いて、それを拒否してしまったのも、未だ僕が金に縛られているということなんだなと気付いた。

金のことを考えずに生きていくのは難しい。

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