昭和の時代に作られた作品なら、音楽や映像をネットで配信して、好きな時間に好きな作品を観ているなんていうものは無いだろう。それどころか、CDが出る前の作品なら光学メディアもなく、全部テープかレコードで表現されている。
でも、今、100年後のキャラクターが、テレビのような放送ではなく、任意の映画や音楽を楽しむシーンを作るなら、恐らくネットで配信しているという形態になっているだろう。少なくとも物理メディアが出てくるような作品にはならないだろう。
# 小型メディアを使用するという描写はあるかもしれない
昭和の作品で個人間の遠距離通話の描写は固定電話ばかり。無線を使っているものといえばトランシーバーが出てくるくらい。携帯電話が出てくるものは無い。
携帯電話が出てきた後の作品でも、スマートフォンが出てくる前のものなら、未来でも2つ折りの携帯を使用しているのが当たり前。
今、古い作品を観ると、今の時点の環境から
「こんな風にはならないよ!」
と笑っちゃったりするんだけど、今製作されている未来を舞台にした作品を納得しながら観ている。
その作品もきっと、数十年後には
「こんな風にはならないよ!」
と云われるであろうに。
因みにこれは、チャージマン研を観ていての感想だ。
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