2012年3月19日月曜日

自殺論と死にたくなる時

さて、自殺とは?要は自分で自分を殺す事であるが。
殺人の罪は重い。他殺であればかなり重い刑が執行される。その内容により、無期懲役になることもあれば、死刑を求刑されることもあるだろう。
しかし、自殺の場合、被害者が加害者であるため、それが完結した時には刑を執行する相手がいない。だから犯罪とはならないのだろう。
では自殺未遂なら?それは殺人未遂と同等ではないのか?先にも述べた通り被害者と加害者は同じである。しかし、人が人を殺そうとしたことは事実だ。
殺人の罪の中に残された者(家族など)への精神的苦痛が考慮されているならば、自殺であっても同じこと。自殺未遂に対し刑が無いことに矛盾を感じてしまう。

もし自殺に対して罪を問われない理由に、それだけ追い詰められた精神状態ということが加味されているのならば、麻薬も同じような要因があるんじゃなかろうか?
例えば売春それ自体に刑は無い。売春を行わねばならぬほど生活が切迫していることが考慮されているかららしい。だから売春斡旋は罪に問われるが、売春そのものが罪に問われることは無いそうな。
であるならば、生活の切迫とは違うが、精神的な弱さから麻薬に走った人に結構重い刑が下されるのに違和感を覚える。

ところで先日ネットで見たのだが、ワタミの社長が自殺した社員が過労死認定された後、カンボジアに学校建設することは彼女(自殺した女性)も喜んでくれると思うとか言っていたらしいのだが本当だろうか?
自殺したらまず身近な人が悲しむ。こう言っては何だが、見ず知らずの人が自殺したとして悲しむ人はいなかろう。であれば、自殺する側も気にするのは身近な人ではなかろうか?切羽詰まって自殺にまで追い込まれる精神状態になっている人が、見ず知らずの異国の子供の生活環境が良くなることを喜ぶ余裕があるだろうか?仮に死後の世界というものがあり、現世の自分を追い詰めていたものから解放されたとして、身近な人の悲しみを見ず、見ず知らずの人を考えられる?
うぅん…僕には違和感のある意見だ。

さて、風呂に湯を張っていたのだが、適度な時間になったので風呂まで行き湯を止めようとしたら、栓をし忘れていた。
ふと、
「死にたい…」
と思った。

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