2010年11月14日日曜日

心惹かれる事に多分理由は無い

相変わらず信楽焼のタヌキが好きだ。
最近、まぁ、このタヌキ熱に関して聞かれることがある。
「タヌキの何がいいんですか?」
僕の回答はこうなる。
「愛嬌あるじゃん。」
いや、これは割と同意が得られる。ただ、聞く人からすれば、単に愛嬌があるだけでそれほどの熱が入るのがわからないのだろう。
元々信楽のタヌキはずっと前から好きで、もし自分が家を買うようなことがあれば玄関先に飾りたいという気持ちは20代の頃からあった。が、今になって何故買うに至ったのか?そして更に買おうとしているのか?
えぇっと…これ、自分でもわからない。

信楽焼のタヌキに限らず僕が焼き物に興味を持つようになったのはここ数年のことだ。何故焼き物が好きか?土の温かみ?それもあるかもしれない。でも、自分でもわからない。


タヌキを玄関先に置いたからと言って自分の生活が大きく変わることなど無いだろう。これは食器も同様で、そもそも食器を変えたからと言って塩分糖分が変わるでもなし、理論上味が変わることはほぼ無いだろう。ならば余計な金出して食器に金を払う理由も無い。今時100円ショップで100円と思えないような良い食器はゴロゴロ売ってる(因みに家では100円の食器も使っている)
そんなことはわかっているが、その上で僕が食器を買う時は、何気に陶器の店に入り、陳列された器を見て「あっ」と思うものがあった時。本当にそれだけ。得られるものは自己満足。


結局気にいったら買うだけだから各産地の特色を気にしていない。これは酒もそうで、どの地域の酒にどんな特徴があるか、どの蒸留所にどのような特色があるか、こういうことも覚える気は大してない。だって飲んで自分が気にいるかどうかが全てだから。

消費者にとって大事なのは結局満足できるかどうかだ。知識は時に人の直感にブレーキをかける。歴史があるものを重んじてしまったり、手間がかかっているものに有難味を感じてしまう。それは本当に自分にとって良いものを見る目を曇らせてしまいかねない。
こう書いておけば勉強が面倒くさくて嫌いなズボラな性格だと思われることも無いだろう。

そして何故こんなことを書いたかと言えば…グラス買っちゃったからだな。

遠目に全体を写すとどこのグラスだかわかっちゃうので接写で。

グラスで酒の味は変わる。五感で得る情報など所詮気の持ちようで変わるから。上に書いたことと矛盾しようが構わない。人の感覚などその程度のものだ。

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