2010年4月8日木曜日

学歴とボキャブラリと常識と

自分の経験上、概ね学歴の高い人はボキャブラリも豊富だ。一般的にもそうだろうと思う。


常識、これは読んで字の如く普通に一般人が持っているであろう知識のこと。
さて、これ、この普通というのは誠に厄介で、中卒の者、僕のように高卒の者、大卒の者など学歴などによってかなりブレが生じてくる。先日とある方と議論したのだが、たとえば学校教育に出てくるような教養はどこら辺までが常識になるのか?その時先方は「高校まで」と考え僕は「中学まで」と答えた。僕の考えは僕の世代でも大分少ないとはいえ現実に高校へ行っていない人がいるから中学の教育までということなんだけど、現実的に考えてみると殆どの人が高校までは行っているだろう。特に最近であれば恐らく9割は大学もしくは何らかの学校へ行っていると思う。なんせそうじゃなきゃ今どき就職も転職もままならないのだから。
常識をどこに置くのかという議論に関しては、僕の持論が正しいと強く主張するつもりもないし高校までを常識と捉える考え方も理解できる。取り敢えずもう高校までは義務教育化してもいいんじゃないかと思っているけれど、その場合高専はどうなるのだろう?


さて、高学歴でボキャブラリが多い人というのは会話において適切な言葉を使って話をしてくれる印象がある。
この適切な言葉で話をするということは会話において非常に大切なことである。基本であるとも言えるだろう。なんせ間違った単語を選んで話をしていたら誤解の元だ。



だがしかし、会話の面白さとなると話は別。実は低学歴でボキャブラリが少ない人の方が会話が面白い傾向があるように思う。中卒で働いてロクでもない先輩社員に連れまわされた連中の方が面白いと思うわけ。
もっともこれは悲しいかな僕のように意味が大体通ればあとは自分が口にして気持ちがいいとか、印象に残る言い回しであるとかそっちの方に重きを置くタイプにとって、最も適切な単語を選んで話すということは結構どうでも良いからでもある。


例えば、ずいぶん昔に友人が3日間同じシャツを着ていたことがある。それも8月に。それを聞いた後輩が
熟成しとるがや
と言い放ったことがある。
他にも峠で喧嘩している奴を見て
熱い男たちが集う街角
等と言い放った奴もいた。言うまでもないが峠は街角たりえない。
前者において「汚い」や「不潔」などというありきたりな言葉など誰でも思いつくので、そんな言葉は聞いてもなんの肥にもならない。これらは適切な表現ではないであろうが、しかし自分でも口にしたくなる。
こういった言葉選びはむしろ低学歴の方がしてくれるかな?ということ。


なまじ適切な言葉を豊富に知っている人の方が、知識によって枠が出来てしまい正しい言葉に縛られて面白い言い回しをしてくれない。その知識をフル活用しくれればもっと会話が面白くなるのに…時々豊富なボキャブラリを下らない話にフル活用してくれる無駄に頭の良い奴がいるけど本当に希少。残念でならない。もっともそういう無駄に頭の良い奴にはつい「死ねばいいのに」とか言ってしまうから僕も天邪鬼だね。


とにかく、僕の環境に高卒以下が多くて、しかも「あのなぁ…」って言いたくなるようなタイプが多かったことも大きいだろうけど、マジメなおカタい話よりももっと下卑た話の方が好きになっちゃったんだからしょうがない。そして、僕にとっての常識の基準がそういう環境によって育まれてきてしまったのは変え難い事実だ。


知識を披露されるより風俗の失敗談の方が好きなんだもん。仕方ないよね。今の時代必要な知識はgoogle先生に聞けば大体何とかなるし。


最後にちょっとだけマジメな話も。
常識をより低い方に合わせるという考え方は、どんどん全体の知識レベルの基準を下げる危険性もある。


僕は常識という範疇の知識を中学レベルでいいと考えている1つの理由に、そのていどの知識で通常会話は成り立つと思っているからだ。それ以上の知識を必要とする場合は所謂雑談のレベルを超えた会話、例えば僕ら技術者が集まって専門的な話をする場合ではないかと思う。そのような場合は高校レベルの教養があるという前提で専門知識の会話をする必要もあるだろう。
あくまでもカテゴリを考えない普段の他愛もない雑談においては中学で、いや、日本語が理解できる程度の小学校高学年レベルの知識で十分だろうという考えだ。通常会話で元素記号や連立方程式の話が出てくることはそうそうないからなぁ。


こういう字ばっかりの長文のエントリはイカンね。読む気なくすわw

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