2012年9月14日金曜日

自分の言葉とネットスラング

ネットで流行り言葉を作る人は凄い。浸透力というか感染力というか、アッという間に伝搬する。尤も、元々ネットで誰かが言ったことなのか、テレビで誰かが言っていたことなのかはわからないが。そして、廃れるのも早い。一発屋の芸人みたいだ。

今時使っている人は殆どいないと思うが、
「☓☓ですね、わかります。」
ってなフレーズが一時期良く見受けられた。

大量に使われていたから、ネットをよく見ている人、特にtwitterなんかをやっている人には馴染みのあるフレーズだろう。

こういう、使いでがあり、多くの人に使われるフレーズを考える人は凄い。見てみれば単純な言葉だが、要は使われるかどうか、親しまれるかどうかが重要なわけで、多く使われる言葉のテンプレートを考える人は凄いな〜と。
もし、それで著作権が主張できて、使用料取れたら億万長者じゃない?と思わなくもない。

ただ、僕に関しては「☓☓ですね、わかります。」は使わなかった。他人の作ったフレーズ使ってる時点で、自分が頭使ってる気になれなかったのと、短時間に余りにも多く使われすぎた。手垢が付き過ぎてて、それを使う行為自体に寒さを感じたから。
しかし、もっと古いフレーズだと平気で使えるから不思議。もっと手垢ついてるのにね。

そんな、ネットでよく使われるフレーズの一つに、末尾に「キリッ」ってつけるのがある。要は、カッコつけて言ってるような意味だろう。
で、文字のみのコミュニケーションで、こういうのを付けるのはわかるんだけど(僕は使わないけど)、これをリアルの会話で使われるとね。
面と向かって話してるんだから、お前の顔で表せよと。

ネットで流行る言葉は、文字のコミュニケーションに幅を持たせるためだと思うのだが、それがリアル会話にまで浸透してきている。
場に応じて、使う言葉、表現手法を変えるのは当たり前のように思えるのだが。それができないのは、思考停止に近い。
折角リアルで会って、ネットでは表現の難しい抑揚を付けた口調や、「間を取る」という行為が出来るのに、文字のコミュニケーションを流用せねばならないのは表現力欠如と思ってしまう。

ただし、リアルな会話ならではの表現力を楽しむことが出来た上で、更に幅を持たせる意味で使っているなら構わない。というより、それこそ、ネットが可能性を広げることの一端だろう。無機質が有機質な物に融合されるような、打ち込みと生演奏が組み合わせられるような。

こういう、ネットスラングに関する、オンラインとオフラインとの境界を超えたところでの存在の違和感。これを感じるのは、物心ついた後に、オフラインが当たり前の生活をしていた僕らのような世代と、ネットがあるのは当たり前っていう生活を送ってきた世代とのジェネレーションギャップなのかもしれない。

しかし、こういう部分の感性を現代にアジャストできないと、後数十年生きるのは辛いような気がする。

若返るためにゴボウ茶を買おうとしたら、マツキヨには売っていなかった。

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