2013年10月17日木曜日

善悪

ぼくや、その他多くの人には考えられないだろうけど、昔は自分たちの領土を得るために人を殺すことが悪いとは思わない人種がいたらしい(近代的な戦争じゃなく)。そんな話が「銃・病原菌・鉄」という本に載っていた。

人を殺すことが何故悪いのか?それをきちんと説明できる人なんて殆どいないと思うけど、宗教的な話に行き着くなら尚の事説明は難しいだろう。
「天国は現世より素晴らしいなら、行かせてあげたのは感謝されるべきだ」
なんて言われたらどう返答するんだろうね。

人を殺すっていうのは極端にせよ、事の善悪なんていうのは個々の主観で決まる。これはもう仕方ない。ただ、日本国内であるとか同じ宗教をやっているとか、なんらかの共通点のある人達の間ではある事柄に対する善悪の判断が一致する傾向があるだろう。
ただ、善悪なんてのは絶対的な行動に対してのみ言われるわけでなく、状況を加味すると意見が変わる。
「物を盗むこと」を悪いと言い、盗まれた人を被害者として同情している人でも、もしそれが海外で、ちょっと目を離した隙に荷物が盗まれた何て話になったら「不注意なあなたが悪い」と言われるかもしれない。「冗談じゃない。どんな状況でも人のものを盗んだら悪いだろう。」と思ってもそう言われる。人の意見なんてそんなものだ。

悪がそうであるように善もそうだ。善意が必ずしもすべての人にそのように受け取られる事はない。誰か(それは不特定かもしれない)の為になると思ってやったことが誰かの迷惑になっているかもしれない。

先に書いた人を殺すは極端にせよ、何かに対して「悪い」もしくは「良い」と言った時、万人が、それも国も宗教も思想も性格も何もかも超えた上で万人が納得できるようにそれを説明することが出来るなんてことは先ずない。

そんなことを考え始めると、善悪なんてのは自分の中での判断だなと。それに従って行動を決めるしかないなと。そう思えてくるし、所詮はそこへ帰結する。
自分の中で悪いと思ったことをするのは気持ち悪い(時として、相手によっては気持ちいいかもしれんが)。だからそんなことはしないようにしようと思うし、自分が善だと思うことであれば他人の顰蹙を買おうが、法を犯そうが実行するかもしれない。

だから、自分は自分の考えに従い行動するし、他人が自分と違う考えで行動をして、それが自分にとって納得できない事であっても仕方ないと思って生きて行かなきゃ理不尽だらけで自分が参る。

とはいえ、頭じゃわかっちゃいるけど、納得できないことにはイライラする。ストレスが溜まる。人間が出来てないと言われればそれまでだが、そこまで出来てる人間もそうはいないだろう。
そこもわかっちゃいる上で、他人にはこう言う

「気にしても仕方ないよ」

自分が当事者なら気にするんだけどね。

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