2010年6月24日木曜日

二次元とは言うものの

二次元=アニメキャラ

よく使われる形容。

んでも、間が抜けてる。

二次元のアニメ(ゲーム)キャラに対する三次元が実在の人物、身近にいる人を指しているんじゃないか?そう思えてしまうんだけど、それが不思議。

絵は作りものである。それはいい。でも、その作品に出てくるキャラクタの性格は勿論のこと、取り巻く環境、起こる事象等々全てが作りものなわけだ。つまり、絵を実写に差し替えれば実写のドラマと条件は変わりない。まぁよく言われるようなことだけど。だから、本来比較すべきは実写版ドラマであるべきじゃないか?
因みに実写版は実在の人間が演じているからより実在の人物に近いと言われれば確かにそうなんだけど、所詮演じているんだよな。その役者さんと偶然街で会っても(その可能性すら極めて低いけど)月九のようなことは起こり得ない。それならば、どちらでもさしたる変わりはない。

ただ、アニメ(ゲーム)キャララヴな人を批判する人が二次元どうこうと言うだけならまだしも、アニメ(ゲーム)キャラ好きな人まで実写版ドラマを通り越して身近に出会うかもしれない人を指し「実在の人間なんて」と言うのは如何なものか?まず貴方が実在の人物だ。
そして、相手を実在の人物と同じように想うのであれば、相手の同意を得ず「俺の嫁」などと言うのは横暴に思えてならない。以前ラブプラスのキャラクタと挙式を挙げた人がいたけど、彼は相手の同意を得ていたのだろうか?ぼくはあのゲームをプレイしたことが無いのでその点はよくわからないんだけど、お付き合いと結婚では重みが違う。
※もしかしたらこういうことはマジメに考えちゃダメなんだろうか…

どっちにしても画面の向こう側、スキンシップも出来なきゃ会話も出来ない。ゲームなら多少なりとも会話は成り立つとはいえ、現在のソフトウェアで人間の如く成長し喋るキャラクタは出てこないだろう。その点に関してはあと十年もすれば実在の人間のように応答できるようになるかもしれない。飽くまでも会話としてなら。それを声として出し感情の機微を読み取る、表すのにはもうちょっとかかるような気がする。
いや、正直なところコンピュータに人間のような感情なんか持ってもらいたくないんだけど。


二次元好きと言ってもフィギュアなどで立体化されたものには抵抗がないのか、そういった商品は売れる。そこもn次元という括りで言えば矛盾に感じるのだが…

さて、今後テクノロジーが進化し、6畳のワンルームに帰ると、フィギュアが人間さながらに、それもとびっきりかわいい声で

おかえりなさいませ、ご主人様

って言うようになったら少子化に拍車がかかるんじゃないか…
メイドを雇えるなんて一握りの金持ちだけだ。6畳のワンルームにメイドが居るってのは資本主義社会の歪みと言わざるを得ない。

でも、個人的にはあと20年したらかわいい女の子とかじゃなくていいから介護的に話をしてくれて、体調が悪くなると自動的に医療機関へ連絡をしてくれる

対有機生命体介護用ヒューマノイド・インターフェース(Powered by Google)

がいてくれると助かるかもしんない。

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