2011年8月27日土曜日

「ガンダム」の家族論

タイトルからすると「ガンダム」関連なのか?と思うけど、富野由悠季の家族論。その家族論とそれに関連する作品のエピソード。作品はガンダムに限らず富野由悠季が監督をしていたものが出てくる。だが全ての家族論に必ず作品のエピソードが交えられているわけでもない。
結局『「富野由悠季」の家族論』なのだ。タイトルに「ガンダム」が付いているのは富野由悠季だから。良くも悪くも「ガンダム」の人だから。



もう既に70くらいの人が書いてるだけあって、フェミニストな人や若い人が読むと「オイオイ」って思ったり不愉快に思う表現も入っているように思える。僕くらいの年代、所謂「ガンダム」世代が読めば面白いと思えるんじゃないかと。

因みに富野由悠季は「ガンダム」世代って言葉が好きそうではないし、そもそも「ガンダム」に過剰な思いを持ってほしくないみたいだ。
所詮アニメに限らずフィクションの作品程度で人生は語れないし、語って欲しくないんだろう。エンターテイメントでしかないもん。だからもし「人生はガンダムで学んだ」なんて言ってる人がいたらこの総監督からすると噴飯ものなんだろうな。
※僕はスポーツを人生の縮図って言うのに比べればマシと思っちゃうが

で、そもそもこの手の本はあくまでも書き手の考えでしかないし、その人が過去の自分を否定していようがどうしようがそれはこれを書いたときの心境でしかない。しかもこの本、震災以降に書いたものだろう。あんなことがあればそれが心境に変化を及ぼすのも当然。

単に「ガンダム」を作った人が家族というものをどう考えていて、「今の心境」で過去の作品と照らし合わせて考えるとこうなるっていう程度に読んでおいた方がいいと思う。だから例えば5年後には言うことが変わってるかもしれないし、そうだったとしても不思議じゃない。だから、過去の作品を否定している部分があっても「ああそうなのね」って程度で、批判するほどのもんでもないと思う。

内容で面白いのは家族を「他人の集団」と定義していること。これを読んで思い出したことがある。
以前、僕は母親に
「家族だって自分じゃないんだから他人だろ?母さんが死んだからって俺が死ぬわけじゃないし、俺が死んだからって母さんが死ぬわけじゃない。」
と言ったことがある。そう言われたときの母の気持ちはわからないが、気分の良いものではなかっただろう。自分が普段からそう思っているから言っただけで他意は無い。怒っていたわけでもない。
やはり自分以外は他人だ。他人の対極は家族や恋人、親しい人ではなく自分である。この点は共感できた。

そして、本の中では「嘘八百のリアリティ」なんて表現が何度か出てくるが、要はその中に視聴者がリアリティを感じられればそれでよいのだろう。そんな作者だからか、過剰なエロ作品(アニメというよりむしろエロビデオなどに関してだと思うが)のリアリティの無さを批判している部分が笑えた。
「男性が一度に五人も十人もの女性の相手を務めたりするなんて、セックスをし過ぎるとおちんちんの先が痛くなるという絶対的なリアリティがまったく無視されている。」

「男が5人も10人もの相手をすること」より「ちんちんが痛くなることを無視している」ことにリアリティが感じられないらしい。
なるほど、前者はそれこそかつての大奥のようなものがあれば特権階級には現実的?そうでもなく、モテない男だって金があれば何とかなるが後者はどうしようもない。言われてみればリアリティないわなぁ…ってそもそも5人10人の相手が欲しいと思う人はいるだろうが、それを「同時に」って考える人がいるかどかは甚だ疑問。普通に考えたら月曜から金曜までに別の女をアサインして土日休憩くらいまでだろう。それを2週間で上限10人。そんな人なら確かにいそうな気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿