2011年8月23日火曜日

本に未来は無い

僕らしからぬタイトルにしたが、悪意のあることでも無く批判でも無く。
昨年末から僕は出来るだけ本を読むようにしている。しかし中々100冊読むのは大変だ。

さて、そんな僕だが、出来るだけ読まないようにしている本がある。それが小説と本田宗一郎。
小説は文章力を養うにはいい。漫画と同様時勢を知るにもいい。だが、それなら漫画の方が、週刊漫画を週刊漫画雑誌を読んだ方がいいだろう。そんなことよりも基本的な知識を知るために本を読みたいのだ。ストーリーはいい。

で、もうひとつ、本田宗一郎、もしぼくが尊敬する人物を挙げろと言われたら出す人物。技術者として素晴らしいと思う。何よりホンダの車に乗った時、あの吹き抜けるエンジンの快感。あんな車を作る企業にした人物。こち亀の両さんがサクセスストーリーを歩んだような人物。技術に真摯でありつつ、儲けた金でしっかり遊んでる(当然自腹で)。どうしたって僕の性格では憧れてしまうし、20代の頃にも何冊か読んだ。井深大の「わが友本田宗一郎」に書かれていたエピソードだったと思うが、本田宗一郎が死ぬ前、病院の中を奥さんにおぶられていたとき「満足だった」と言ったそうだ。一技術者としてそんな生き方が出来る事にどれほど憧れたことか。

日本で初めてリッターあたり100馬力を出したNAエンジンB16Aを初搭載したインテグラが僕の最初の愛車。その後、兄のカローラFXに乗った時期もあったが、その次、B18C-96SpecRを搭載した最初のインテグラTypeRこそ僕が2台目に自分で買った車。僕は生涯で2度車を買ったが、その2台共がインテグラ。因みに最初のインテグラは14万Km、インテグラTypeRは9万7千km走行している。
※まぁ今免許は無いが…

というわけで本田宗一郎、企業としてのホンダが好きな僕だが、本田宗一郎関係の本は読まないようにしていた。何故かといえば、好きな事に偏ればそればかりになるから。いい歳なんだから好きでもないようなこと(経済とかね)も知らなきゃいけない。だから、本田宗一郎というド真中は避けてた。

※同様な理由で技術書も


でもね、息抜きってかたまたま本屋に平積みされてたからうっかり買っちゃったの。

表紙はマクラーレンのF1マシンに座る本田宗一郎が笑っている写真。この写真、好きだなぁ。

改めて読んでみると、やはり素晴らしい人物だ。本に載る時だから美化されてたり、それなりのバイアスはかかってると思うけど、時系列のエピソードは誤魔化しようもないし、結果としてホンダがバイクのレースやF1で素晴らしい記録を作った事は事実だ。

えらい前フリが長くなってしまったが(だからこそ本田宗一郎の本は避けてたわけだが)、この本の中に非常に面白い一節がある。
「本というものには過去のものしか書かれていない。」
この文を読んだ時目から鱗が落ちた思いだ。確かに。既に技術が確立されたものをぼくらは本で読んでいる。ともすればその知識に精通した人に聞けば事足りるわけだ。今なら尚の事。まず検索すればいいし、それで出てこなきゃblogやtwitterで疑問を書けばコメントが貰える(可能性がある)。
更にtwitterなら即時性がある。隣のエキスパートに聞くのに近い効用があるのだ。

ともすれば、エキスパートに気軽に聞ける環境があるのに、わざわざ本を読む必要があるのか?と言われたら確かに「本を読む」ということに懐疑的にならざるを得ない。
何よりも本に書かれている事は既に確立された技術。技術者なら自分で新しいものを産み出したいという欲求もある。
「本に書かれているものを作る」のではなく「本に書かれるものを作る」という気概はカッコイイ。



まぁこの辺はさだまさしの歌に「地図にない街を探したきゃ始めに地図が必要」なんて一節があるが、これと同じで、結局既に確立されているものかどうかの検証の為にも文献は必要になるのだが。
因みに、僕はこの言葉に感銘を覚えつつも、本によって知識をより深く覚える事は大切であると思っている。温故知新という言葉もある。



更に驚くべきが「覚えるのはコンピュータでよい」と語っていること。大正生まれがそこまで言えるのってメチャクチャカッコイイ。全くその通りなのだ。前述の本の話が1959年、この話が1982年。どちらにも通ずるものがあって、ブレてない。そう、機械に出来る事は機械にやらせておけばいい。人には人の領域がある。因みにこの話ではカンニングにも触れており、「カンニングできるんならしちゃえばいい」って話をしている。この辺の考え方ってホリエモンにも近いものがあるような気がする。

震災で忘れ去られてしまった感もあるが、今年はインターネットでカンニングした事件も話題になった。
「コンピュータで覚えればいい」
「カンニングしちゃえばいい」
受験はともかく今はそういう時代だ。
折角記憶という行為をIT技術が肩代わりしてくれる時代なんだから別の事に力を注げばいい。それはより洗練された技術を習得することでもいいし、自分のプライベートな時間を充実させることでもいい。

少々大袈裟に書いてしまったが、だからって僕も今後読書しなくなるなんて事は無いし、広い知識を得るために本を読むことはする。そして本ならではの即時性っていうものもある。
だが、先進的な考えを持てる人というのはいつの時代にもいて、そういう人の考えは数十年後の時代であってもマッチするんだなぁと感心した次第。

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