2014年6月29日日曜日

知識を得て、思考を失う

インターネットの良い面として、有名無名を問わず、色々な人の意見、知識に触れられることがある。
これはいい。平等に見られる、見ているなら、バイアスがかかっていない状態で色々な考えの人の意見(当然それにはバイアスがかかっている場合もあるが)に触れられるからだ。

だが、これが厄介な側面を生む。有名無名を問わず、知識と知恵のある人の理路整然とした意見に触れられるということは、無論素晴らしいが、その反面、それを吸収した後、その意見を吸収した上での自分の考えというものを生まなくなってしまうことがある。他人の意見を自分のものとし、自分は他人の様々な意見、思考を取捨選択して覚えていくだけになる。
それを消化して自分なりの考えを生まない。だから、それに対して質問をしたりすると答えられなくなる。元の意見を言っていた人であれば、答えられるような質問でも、単なる知識のコピーでは、それが出来ない。

馬鹿の考え休むに似たりとは言うけれど、幾ら自分より優れた人の意見だからといって、それを覚えるだけでは流石に脳みそを持った人間としては物足りない。何より、そこに自分は無い。

最近、こうなることが良くないと思っているんだけど、かといってインターネットと距離を置くかというと、それもなかなか出来ない。
無論、これは読書にしても同じことで、知識を得ることで、そこから自分で何かを生むという行為をしなくなってしまっては、自分の存在意義が無くなってしまう。

新たなアイディア、理論は知識を基に生まれる。だからより新しいものを生み出すためには多くの知識があった方が良いとも思うのだが、何とも悩ましい。



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